カテゴリー別アーカイブ: 日本美容外科学会(JSAPS)専門医

2016 . 6 . 8

眼頭切開の結果:自信を持ってお届けします。

3ヶ月前に目頭切開を施行した患者さんの中期的結果です。形態と機能のバランス治療をまずご覧下さい。 上図が左術前、右術直後。術前の形態は蒙古襞が斜め立てに突っ張って吊り目気味に見えます。機能的にも開瞼に抵抗する要因になっているので、開きが足りないのです。いつもの一辺4㎜のZ−形成デザインでの目頭切開=蒙古襞の拘縮解除術を行ないました。術直後はオーバーに寄っています。これは治ります。下段で証明します。 上図は左が術後1週間後の抜糸直後、右が術後2週間でした。抜糸直後は痛かったので開いて撮影で機内のが通例です。その後は開瞼も亢進しています。画像が証明しています。まだ、創跡ががたがたしていますし、赤いです。 そして今回の3ヶ月目に撮影させて頂きました。創跡は見えない
▼続きを読む
2016 . 6 . 8

粉瘤の経過:これなら傷跡は消えます。

先週手術した粉瘤摘出の症例の経過です。 粉瘤は私達形成外科医の得意分野です。今回症例提示をご承諾いただけたので、画像を提示します。症例は55歳男性。背部に嚢胞があります。 実は本症例は経過が長く、年単位で破裂、炎症、他院で切開を繰り返し、当院には約1年前に辿り着きました。当院初診時も炎症が強く、切開排膿の後に連日清浄化し、閉創しました。最後に私が拝見して、「膿を出して炎症が治まっても、嚢胞(袋)は残るので、まず必ず再燃します。袋がはっきり触れる様になったら、摘出しましょう。今回はタイミングを逃さないといいですね。」と告げておいたのです。 予定通り、来院され、「これなら取れますよね。」と尋ねられた時には、私も「取り時ですね。いいタイミングです。良かったですね。」と答え、早速手
▼続きを読む
2016 . 6 . 6

粉瘤!

久し振りに、腫瘍切除術の提示症例です。 粉瘤は私達形成外科医の得意分野です。もう何年か前になりますが、当院の池田欣生先生の左側頭部(こめかみ)の径1㎝程度の粉瘤を私が切除して、ブログに提示したところ、反響がすごく、粉瘤の患者さんが殺到した事がありました。何年も続きましたが、さすがに検索に上がらなくなったようです。 そこで、今回症例提示をご承諾いただけたのを機会に画像提示を再開します。症例は55歳男性。背部に嚢胞があります。 実は本症例は経過が長く、年単位で破裂、炎症、他院で切開を繰り返し、当院には約1年前に辿り着きました。当院初診時も炎症が強く、切開排膿の後に連日清浄化し、閉創しました。最後に私が拝見して、「膿を出して炎症が治まっても、嚢胞(袋)は残るので、まず必ず再燃しま
▼続きを読む
2016 . 6 . 1

切開法による眼瞼下垂手術も黒目整形の一種です。

症例は32歳、女性。一重まぶたで15年前に他院で舞いぼる法をしたが戻った。皮膚も伸びてきたように思うとのこと。LF12mmと効いている。フェニレフリンテストでさらに挙筋を一時的に強化するとよく開いてなかなかきれい。 手術は切開法で定着する希望。ラインは前回の高さで、その分切除を5mmとしました。 今回右眼瞼の一カ所に腫脹が起きまして、コメントが不能となりました。従いまして術前、術後の画像は左眼瞼だけ提示します。次回抜糸時または2週間後くらいには解消します。その際に細かい説明をさせて下さい。 敢えて腫れていない左眼瞼についていえば、結構いい形が見えます。いずれにしても術中にはよく仕上がっていました。術中終了直前数分の間に腫脹が亢進して、気がついたら右眼瞼の開瞼が落ちて
▼続きを読む
2016 . 5 . 26

美容医療の神髄47-歴史的経緯第47話- ”口頭伝承”:父は美容整形屋、私は形成外科・美容外科医。自分史話へ”その23”

という訳で、前回9年目から美容外科でのアルバイトに勢を出す事になりました。 その上で北里研究所病院での父と私で二代に渉る在籍の話をちょっとして、ついでに北里研究所の仕事(アルバイト)の方針を父子で笑う話。その後のJSAPSとJSASでの二人の行動について記していくつもりです。 次いで、JSASで父が会長するのは1996年=平成8年=私は10年生(北研2年目)と1999年=平成11年=私は13年生(大学にて研究員)ですが、私は平成8年には加入だけします。11年には発表もします。そのいきさつはまたとします。また日本美容外科医師会は1997年平成9年に発足しました。その後の変遷も後段に廻します。 前回9年目10年目の北里研究所病院に出向中のアルバイトの話で盛り上がりましたが、結局
▼続きを読む