カテゴリー別アーカイブ: 美容医学博士

2016 . 6 . 9

先日のJAASで実演手術させてもらった症例の患者さんに提示をお願いしました。

私達が主宰しているJAASは研究会ですが、実はライブ手術の走りです。それというのも、機材と電送の専門家が必要だから簡単ではないからです。学会単位のライブ手術は過去に放映される事もありましたが、最近では割愛されるようです。それに比べ、JAASは年に3回以上はライブ手術とその説明の講演を執り行っています。当院等の手術室での手術を、100人は収容出来る会議場に画像と音声を電送し、双方向ですから術者がリアルタイムに質問にも答えます。術者は手を動かしながら、耳で聴いて、頭で考えて答えなければならないので、聖徳太子みたいな仕事です。それでいて時間制限があるので疲れます。 今回は私が2例担当しました。ただし考えてみれば動画を電送したのですから、静止画像はそこから起こさなければ存在しません。当日のデー
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2016 . 6 . 8

眼頭切開の結果:自信を持ってお届けします。

3ヶ月前に目頭切開を施行した患者さんの中期的結果です。形態と機能のバランス治療をまずご覧下さい。 上図が左術前、右術直後。術前の形態は蒙古襞が斜め立てに突っ張って吊り目気味に見えます。機能的にも開瞼に抵抗する要因になっているので、開きが足りないのです。いつもの一辺4㎜のZ−形成デザインでの目頭切開=蒙古襞の拘縮解除術を行ないました。術直後はオーバーに寄っています。これは治ります。下段で証明します。 上図は左が術後1週間後の抜糸直後、右が術後2週間でした。抜糸直後は痛かったので開いて撮影で機内のが通例です。その後は開瞼も亢進しています。画像が証明しています。まだ、創跡ががたがたしていますし、赤いです。 そして今回の3ヶ月目に撮影させて頂きました。創跡は見えない
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2016 . 6 . 1

切開法による眼瞼下垂手術も黒目整形の一種です。

症例は32歳、女性。一重まぶたで15年前に他院で舞いぼる法をしたが戻った。皮膚も伸びてきたように思うとのこと。LF12mmと効いている。フェニレフリンテストでさらに挙筋を一時的に強化するとよく開いてなかなかきれい。 手術は切開法で定着する希望。ラインは前回の高さで、その分切除を5mmとしました。 今回右眼瞼の一カ所に腫脹が起きまして、コメントが不能となりました。従いまして術前、術後の画像は左眼瞼だけ提示します。次回抜糸時または2週間後くらいには解消します。その際に細かい説明をさせて下さい。 敢えて腫れていない左眼瞼についていえば、結構いい形が見えます。いずれにしても術中にはよく仕上がっていました。術中終了直前数分の間に腫脹が亢進して、気がついたら右眼瞼の開瞼が落ちて
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2016 . 5 . 26

美容医療の神髄47-歴史的経緯第47話- ”口頭伝承”:父は美容整形屋、私は形成外科・美容外科医。自分史話へ”その23”

という訳で、前回9年目から美容外科でのアルバイトに勢を出す事になりました。 その上で北里研究所病院での父と私で二代に渉る在籍の話をちょっとして、ついでに北里研究所の仕事(アルバイト)の方針を父子で笑う話。その後のJSAPSとJSASでの二人の行動について記していくつもりです。 次いで、JSASで父が会長するのは1996年=平成8年=私は10年生(北研2年目)と1999年=平成11年=私は13年生(大学にて研究員)ですが、私は平成8年には加入だけします。11年には発表もします。そのいきさつはまたとします。また日本美容外科医師会は1997年平成9年に発足しました。その後の変遷も後段に廻します。 前回9年目10年目の北里研究所病院に出向中のアルバイトの話で盛り上がりましたが、結局
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2016 . 5 . 18

ハムだかソーセージだか知らないが、これは治したい。こんな感じでいい?。

こうしてしまうと修正が難しい。それでも少しでも良くしたい。当然症例患者さんは求めて迷い歩きます。運よく当院に辿り着いたので、私は「これは困りますよね。どうにかしましょう。」と、問いかけました。 症例は26歳、女性。5年前新興の(若い=経験不足)美容皮膚科的クリニックで重瞼術埋没法を受けたのち、眼をもっと大きくしたいとの希望で再診したら、何故か切開法でやたら広い二重にされた。 もちろん根本的には、切開法での修正術の適応ですが、患者さんの希望も有り、ダウンタイムの養成でもあり、敢えて今回はハム状態の解消法として、切らない眼瞼下垂手術=黒目整形=NILT法を利用します。 8mmで切開されていて、LF11mm。眠そうでハム状態と見える。早速症例を提示します。左が術前、右が術直後です
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