カテゴリー別アーカイブ: 美学

2017 . 9 . 4

鼻尖増高と下制術に鼻稜増高も加えました。遂に両側耳甲介軟骨移植です。

鼻尖の手術が続いています。そういえば最近、ブログ掲載承諾症例が続いていました。月単位経て最終的結果が見えて来ているからでしょう。それはそれは素晴らしい美容的形態を呈しているからでしょう。但し、形態的に完成に至るまで最低3か月かかります。ブログの読者の皆さんはご存知でしょう。 したがって術後早期の画像は、テープ固定していないと恰好が判らないでしょう。今回の手術もそうです。まずは各方向から術前と術直後の画像を比較しましょう。今回はテープ貼付の画像から魅せます。 さらに今回は術中に画像をたくさん撮らせてもらいました。軟骨の形成を魅せます。面白い絵ですし、みなさんの参考になると思います。 症例は26歳の女性。鼻の尾根が太く、鼻千の上にさらに低い船底上の凹み。鼻尖はTDP: Tip
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2017 . 9 . 1

口唇(白唇部)短縮単独症例は久し振りです。これはイケル!

当院では、近年口周りの手術が流行っています。私が大多数を施行しています。 症例は21歳、女性。これまでにいくつかの美容医療を受けている美人。口元だけは手を付けていない。こうなるとやはり、先ず私としてはバランスを取って行きたいから計測から提示します。 先ず横の比率、内眼角間30㎜、鼻翼幅30㎜と小顔の上に部品も幅が無い。口唇幅も45㎜で、目の間=鼻幅書ける1.5倍と最高のバランス。縦の比率は、生え際〜眉下▶︎上顔面=60㎜、眉下〜鼻下▶︎中顔面=60㎜とバランス最高なのに、鼻下〜頤先端▶︎下顔面=65㎜と長い。その原因は鼻柱基部〜Cupid's bow の最下部▶︎白唇長=19㎜にある。 顔面全体を露出したいのですが、契約に無いので諦めます。どう見ても美人顔。何しろ輪郭が理想
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2017 . 8 . 17

美容医療の神髄-歴史秘話第102話-”口頭伝承”:美容整形屋と美容形成外科医”その77”「地方都市20:美容外科医は辛いよ!」

しばらく番外編が続いていました。美容外科医は辛いよ!のキーワードは”整形ゴロ”の暗躍です。3年以上の年月がありますから、話題に欠きませんが、やばい話もあります。しかも当初から波乱含みです。 A美容外科グループには、大分院の他に浜松院と松本院と旭川院がありました。私が大分院を開設したのは医師歴16年次は平成14年、2002年でした。大分院は数十年来有名な美容外科医が持っていたものを私が行く前年に譲り受けたのですが、その件は以前に説明しました。松本も前年に開設したのですが、私は東京から行けるの隔月に一回ほど行きました。信州大学も訪問した話は長々と書きました。浜松院はA美容外科グループの本部事務所が岡崎市にあるために近くの中都市を狙って出したのと、開設者として皮膚科上がりの美容形成外科もどき
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2017 . 8 . 11

美容医療の神髄-歴史秘話個人編-美容整形屋と美容形成外科医「番外編3:美容外科医の家族は辛いよ!」

父が家に寄り付かなくなったのは私が中学生の頃。私はその後慶応高校に合格し、遊び呆けます。父が居なくなってタガが外れたのです。でもそうはいっても交流は続きます。母は私を頼りました。だから、今回亡き母の生き様を書き添えたいのです。 では、父と母の婚姻状態や、家族の生活はどうしていたのか?。まず母は私と弟に絶対に意地でも婚姻関係を絶たないと宣言しました。そうなれば、経済面ではどうするか?。法律的に婚姻関係を継続するなら、経済的には同一会計でなければなりません。ただし、口座で動かすのは面倒というかまずいので、私達が取りに行く事になりました。毎月誰かが運び屋となるのです。 父が帰らなくなったのは昭和47年かと思います。当初から、私は父に会いに医院を訪れていました。もちろん子供としての気持ち
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2017 . 8 . 3

美容医療の神髄-歴史秘話個人編-美容整形屋と美容形成外科医「番外編2:美容外科医の家族も辛いよ!」

母と父の関係を美容整形屋と照らし合わせれば、何と言ってもキーワードは「美容整形屋に女は憑き物!」です。 父は昭和2年産まれで、昭和28年に慶応大学医学部を卒業し、医局は同大学第二外科でした。そこは当時先端領域である胸部外科でした。直ちに北里研究所病院に出向しました。皆さん知っての通り北里柴三郎は、感染症医療に於ける本邦での最高権威者で、病院は研究所に付属し、最新の医療を推進していました。当時もっとも罹患者が多く、しかも慢性疾患のため戦後の国民国家の再興を妨げていたのは結核で、北里研究所病院も結核サナトリウムの様相を呈していました。 父は福島県猪苗代町の産まれで、祖父は医師でしたが、祖母は未婚のまま父を連れて東京に出て来てしまいました。祖母は教師でしたが、音楽教師を目指して芸大の前
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