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2013 . 11 . 8

美容医療の神髄Ⅴ-歴史的経緯第四話- ”口頭伝承話”その4

昭和50年代の形成外科と美容外科の標榜に伴い、爆発的に参入者が増加するのですが、増加だけでなく、表面化でもあるのです。 それまでも、広告は容認されていましたが、標榜はあくまでも整形外科で、美容整形と看板に書いていても咎められなかったようです。そもそも、整形外科とはなにかも一般人には認識されていなかった時代です。昭和51年の形成外科標榜に続き、昭和53年の美容外科標榜後、どちらも国が認定した科目であり、その際マスコミでニュースにもなったので、美容外科や形成外科を標榜し、広告宣伝する診療所が林立し始めます。 これまでの美容整形開業医は、仕方なく美容外科に標榜を変えました。父が開業していた銀座整形は、階下に美容整形と看板を掲げていて、愛着のあった父は昭和53年以降もそのまま使っていまし
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2013 . 11 . 8

切らない手術と普通の手術

このところ、切らない眼瞼下垂手術や、切らない小鼻縮小術を紹介しました。 その際、持続性については、あいまいにしているのはお気づきでしょう。そうなんです。 切らない手術=糸で形を作る手術は、必ずある程度の後戻りをしますが、その程度と時期は個体差があり、予想が難しいのです。 切る手術=普通の手術は、余分を取ったり、癒合をさせたりするので、効果の程度は取る分量により決まります。持続は初期の後戻りはないとは言えないのですが、その後は効果は定着します。 まずは切らない手術の代表4法について説明していきます。二重を作る埋没法MT法や、切らない眼瞼下垂手術LT法は眼瞼の皮膚と挙筋を糸でつないだり、挙筋を糸で畳んでまぶたの機能を助けます。糸は永久に残ります。もちろん害はありません。なぜなら、糸は身体との反応
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2013 . 10 . 25

日本美容外科学会での収穫

昨日、本日は日本美容外科学会(JSAPS)の、年に一回の総会でした。 あまり聴講できなかったのですが、唯一面白いセッションには出られました。「容貌のメッセージ性」という面白そうな題名で、私は堪能しました。と同時に、父が一緒に居たら、もっと面白かっただろうな?、父と塩谷先生はライバルであり、同士であった。この演題は父の言葉の焼き直しに聞こえる。もし、この席の隣に父がいたら、ずっと二人でひそひそ話していただろうな。でも父は公的ではなかったし、もしここに居たら、質疑応答は議論が沸騰して面白かっただろうなぁ。でもその後意気投合しただろうな?。演題は面白かったですが、父と塩谷先生の関係、美容外科の同士としての信頼関係を、私の脳の半分で回想しながら聴いていました。というか、私は昨夜遅く大坂から帰っ
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2013 . 10 . 18

続き

昭和40年代には美容整形が盛んになり、形成外科医も整容外科と称して参入し始めます。学会というよりは寄合いに近いのですが、(まだ標榜が認められないので学会としての公的独自性がない。)二つのグループがしのぎを削ります。 そうしているうち公的な認知を求めて、つまり裏街道的に寛容されている美容整形を表だって行いたくなったのです。日陰者、前回最後に紹介したやくざ医師と呼ばれる立場からの離脱を図りたくなるのは、人として当然の感情であり、名誉も得たくなるのです。 そこで必要なのが、標榜科目です。標榜というのは、法令上広告可能な科目名です。美容整形は、法律上では、広告さえも禁止されていた訳です。もっとも父は銀座整形の看板を立てていました。十仁病院は美容整形を宣伝していました。お上に指摘されなけれ
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