本当にすごく目が離れているモンゴル系。日本人でこのサイズの人は珍しいでしょう。お魚型です。蒙古襞は今から約2万年前にモンゴルで発生した突然変異遺伝子の発現ですが、その後中国や朝鮮を経て日本にも蔓延しました。一重まぶたの遺伝子も同座で、蒙古襞の程度も重瞼線の高さも連続的にバリエーションがあります。
現世人類,Homo Sapience は約20万年前にアフリカで発生して、地球上に徐々に進出しました。2万年前の最終氷河期に、モンゴルやシベリアでは一重まぶたで前葉性眼瞼下垂、つまり目が開きにくいから目が凍らない人が突然変異で発生して、寒冷地適応者として彼らの末裔だけが生き残りました。白人や黒人は全員二重まぶたで蒙古襞を持ちません。これは北東アジアに特有の遺伝子です。これは現在最先端の集団遺伝
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カテゴリー別アーカイブ: まぶたの美容と機能
美人はあくなき追求心。ギリギリまで二重を広げて目を大きくしたい希望!、実は難しいのです。
症例は23歳女性。これまでに当院で涙袋等は作ってきたが、他院で目頭切開術,Redraping法を受けたが、傷跡は確かに目立たないけれどあるから、目頭の部分に涙袋が入りにくい。画像を見ればわかります。その上蒙古襞の拘縮は治利器っていないから眼瞼の内側方面がストンッと斜めに落ちてしまっているのが気になった。
私に罹って訴えてきました。先天性の二重まぶたで眼裂横軽も大きく、目頭切開の効果もあって、内眼角間(目の間)も離れていない。目がぱっちりしていて、輪郭は何手術を受けてきたのかは聞き忘れましたが、逆さ卵型の美人に違いない。契約上は中下顔面をお見せできないので残念です。
受流前の画像を見ればわかる様に、こんなにぱっちり開いています。挙筋々力や開瞼幅を測るまでもありません。でも見てわかる
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年齢に見えない綺麗な人にはまず眼瞼から。
症例は58歳女性(えエ〜ッ!私より一つ下)。これまでにいくつもの美容医療を受けてきている。今回は、眼瞼のお治しから提示させてもらうことになりました。もちろん他の部位の相談も受けましたが一つ一つ取り組んでいきます。実は他の手術も同時にします。
切らない眼瞼下垂手術をこれまでに3回受けて来ました。どうしても後戻りし、画像でご覧の様に瞼縁が黒目に架かるので、フェニレフリンテストをしてみると充分に挙がるので、今回は私が精一杯挙げる様に気合いを入れて手術しました。ラインも若干広げたい希望でした。
術前と術直後の画像を並べます。
開瞼を強化しました。やり過ぎですが後戻りを計算しての事です。重瞼は狭くなります。でも目力が入っています。重要なのは瞼縁の形です。これまでの手術の写真を
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目が離れてたのはやはり蒙古襞の被さりと狗縮の解消で治せました。長期経過を再掲します。
これまで何例か目が離れている症例を提示してきました。この症例に対しては、目頭切開が必須ですが、シミュレーションしてみないと解りません。でも術後診ていくと、自然な形態に出来上がりつつあります。今回約2年前の症例の画像を戴きましたので長期経過を再掲します。
症例は25歳、女性。先天性一重瞼。6年前埋没したが、外れている。LF挙筋機能11.5mm(正常値>12㎜)と先天性筋力低下に因る眼瞼下垂傾向だが、一重瞼では正常下限と考えられる。計測すると、眼裂横径は25㎜と一重瞼の人の平均だが、内眼角間距離は43㎜と正常範囲から逸脱している。でもそれは角膜中心間距離(平均値60㎜)が67㎜と、眼球が離れているからで、内眼角間距離から7㎜減じると内眼角間は36㎜と考えられ、蒙古襞の程度は一重瞼の平
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目頭形成(切開)単独手術。”国民”!に理解されてきました。
目頭切開は戦前から行われています。国民的手術です。もちろん施術者は数少なく、しかも不自然な形に造られてしまっていた様です。
戦後(WWⅡ:第二次大戦)には、連合国に占領された我国にUSAからGI(軍人)が駐留しました。敗戦国の国民である日本人は経済的に困窮した結果、特に若い女性はGIに身を売って食わせてもらうため腕にぶら下がりました。その際日本人女性がGIにモテるためには外人(白人)顔に変える美容整形(当時はそう言いました。)を受けました。であれば当然、目頭切開手術が必要でした。その後高度成長期にに向かって、雨後の筍の様に美容整形屋が林立しました。東京で言えば昭和40年には山手線の各駅には美容整形が存在してました。つまり29軒以上です。中央線沿線も数えると約50軒はあったそうです。
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