平成11年、1999年、年齢は40歳となります。北里大学形成外科に入局して13年次です。この年は久し振りに大学病院に勤めますが、それでは大学に戻って何をしたのでしょうか?。大学と大学病院での仕事には三つの役目があります。臨床、教育、研究です。前回卒後教育の一環を紹介しました。今回は、本職となる研究について説明をします。
そこで、この年の週単位での曜日ごとの時間的なデューティーの割合を思い出します。それ以外が研究の時間です。まず朝8時から毎日、当日手術分の各術者による術式プレゼンテーションで明けます。9時から2チームが外来診療と手術に分かれます。私は水曜の午後と木曜終日が手術のチームでした。金曜は外来手術枠ですが、研究員は担当しません。外来は月曜終日ですが、教授との二診でしたから、空いて
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カテゴリー別アーカイブ: 日本美容外科学会(JSAPS)専門医
PRP療法の経過を提示します。解かり易いでしょ?
PRP療法は、目の下の下眼瞼の半月形の膨らみ=目袋の下の半円形の溝=頬瞼溝=別名クマ取りと、鼻の横から斜め下に流れる溝=鼻頬溝=別名ゴルゴ13ラインを埋めて若返るには、第一選択の治療と言えます。
症例は57歳、女性です。実はこれまで切らない眼瞼下垂=黒目整形=NILT法を受けているので目元は元気な印象なのに、目の下が年齢を感じさせてしまう症例です。
上2図は術前で目の下=下眼瞼縁がバッグ状になり、その下に半円形の溝が見られます。
PRP注入直後に溝は埋まります。
1週間目で一回減った時期ですが、溝は術前よりは浅いです。5歳若返ったと言うかんじです。
PRP療法は、皆さんもうご存知でしょう。最近来院される方にご紹介すると「アーあれえ!」って
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派手目な手術はタレント性をアップさせます。
当院の売り!、黒目整形が大流行となっています。本来、切らない眼瞼下垂手術を皆様に浸透させるために命名したのです。切らない眼瞼下垂手術NILT法は、適応を間違わなければこんなにいいものはありません。しかし、適応が限られる。戻りもあり得る。でも黒目そのものを大きくするのではないのに、考え違いしている患者さんがいらっしゃるので説明が大変なのです。
こうなれば、定着する切開法も黒目整形の一種だと主張し、さらに眼頭切開=蒙古襞の拘縮解除術=Z-形成法も黒目整形の一種だとしてしまおうと考え、今回提示症例とさせていただきました。
症例は、24歳、女性。先天的には一重まぶただった。昨年他院で埋没法を受けて奥二重っぽくはなっている。でも御覧のように皮膚が余剰で眼窩脂肪の膨隆も残る。LF:挙筋滑動距
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美容医療の神髄-歴史秘話第58話-”口頭伝承”:美容整形屋と美容形成外科医”その34”「銀座から相模原編」
平成9年銀座美容外科医院に出向した際に、学会系の件では、父と協力もしました。パネルを作って患者さんにも説明しました。要するに父はJSAS系(非形成外科)とJSAPS系(形成外科系)の両翼に足場を築き、顔を突っ込み、重鎮化していき、二股の本領を発揮していきます。今回その件の後、翌年1999年、平成11年は、私が医師13年目にして久し振りに北里大学病院形成外科で診療、研究、教育の三職を受ける年となります。
何度も記載しますが、国民には理解が難しい話しですから、もう一度学会のグループに付いて説明します。
父がよくホザイていました。「整形外科医は大工さん。形成外科医なんて傘張り職人かせいぜい鋳掛け屋だ。どうせ外科のストレスに着いていけなくて落ちこぼれた奴が転向したんだろ。」とか、「美容整
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切らない眼瞼下垂手術=黒目整形=NILTは万能に近い・・の2週間後
これまで重瞼術を繰り返して来て、満足を得られない患者さんにはこの手術をお奨めします。とにかく結果が良い。かといって目立ちすぎない。ダウンタイムは若干増えても日常生活には支障を来さない経過です。
上が術前術直後です。明らかに開いて、重瞼はくっきり入りました。
2週間後の経過画像です。
近接像でも見られるように腫脹が遷延しています。だから開瞼が不足なのか、それとも締めが弱いのかは解かりません。とにかく重瞼線の下が腫れていて、結果が出ていません。もちろん左の前頭筋収縮が強くて眉が挙がっているから重瞼の幅が動的に揃っていません。BTXが必要かもしれません。
切らない眼瞼下垂手術=黒目整形原法=NILT法は重瞼をクッキリさせ、目の開きをパッチリにします。何度も言
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