黒目整形は大多数の人間が適応します。特にアジア人では一重まぶたを二重瞼にする重瞼術が適応どころか機能的に必須ですし、一重まぶたの人は眼瞼下垂症を伴うことが多いので、黒目整形を併用するべき症例がほとんどです。そのほうが美しい形態を呈しますし、美しい形態は良好な機能に宿するとは私がいつも提唱していることなのでご存知でしょう。誰が受けても良好な経過と結果を得られます。ですから、黒目整形は提示症例になることが多いのです。
今回何故か、他の医師が診察して手術予定を立てていたのに、患者さんの都合で私の担当日に回ってきました。私は手術予定で一杯なので、本年から勉強を兼ねてアルバイトに来ている新進の形成外科医に手術を教えながらしてもらいました。
症例の患者さんは25歳の女性。一重まぶたで
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これで完成か?。美男子はどう見てもイケてる。
本症例は2週間前に手術しました。男性ですから経過が早くて、結果が画像上でも見えてきました。今回は術前と2週間の画像を比較します。なお、画角とトリミングの関係からそれぞれのサイズが違うことをお許しください。
上左が術前、右が術後2週間です。画角が違うのでごまかしっぽいのですが、明らかに鼻の形態が改善しています。鼻尖カッコいい。下がった。鼻翼と鼻柱の位置関係は、矢印になった。よく見ると鼻翼上の傷跡はまだあるが、正面からは目立たない。口角は最下の画像で。
上左は術前の右斜位像、右が術後2週間の右斜位像です。鼻尖の形は斜位でもよく見えます。術前は鼻尖だけがぺちゃんと平らだったのが不自然で大問題でした。術後自然な形態となりました。鼻翼の上の傷跡は斜位像ではさすがに見えますが
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美容医療の神髄-歴史秘話第68話-”口頭伝承”:美容整形屋と美容形成外科医”その44”「相模原編10:美容外科学」
13年次の研究員としての研究の紹介はここまでとします。大学病院医局でのお仕事は、臨床と教育と研究の3本立てであると強調しましたが、研究にどっぷりつかっていただけではありません。卒後教育面は美容外科を大学病院で展開するする際に付随しました。臨床も同様ですが、臨床面とはアルバイトも含みます。
ところで、研究の結果としての論文は手許にありますから、それをもって研究の内容を紹介したのですが、本来の目標は博士の取得にあります。13年目に論文は書き上がりましたが、その後は投稿、修正を経て受理されるまでに日時を要します。審査はその後ですが、大学の都合もありますから、チャンスは年に一回です。ですから、この後の博士号取得までの道のりは14年目以降の話題に挟んでいきます。ところで博士号というのは最終学術歴
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番外編として、新進の形成外科医に黒目整形を教えて、美容外科医に仕立て上げます。
モニターという制度は、物を売る場合に感想を頂くために安くしたりすることです。私達医療従事者(医師、看護師、カウンセラー)は、薬を含めて物を売ることもありますが、外科医は腕を売っています。そして治す対象は人間です。人間は個体差があります。そして好みもあります。社会的状況もそれぞれが違います。だから、適応する治療方法は多岐に渉ります。ですから、一人の患者の感想を得るためのモニター制度もふさわしくありません。さらにいうなら、宣伝広告をもってして、誰もが同じ様な結果を得られるかのような幻想を患者さんに抱かせる方法を誘因行為といい、違法行為です。ですからこうして、医療サイドが個々の症例をブログで説明するのが、正しい広告(誘因行為でなく、症例紹介によって広く知らしめること。)だと言えます。その場合もちろ
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美容医療の神髄-歴史秘話第67話-”口頭伝承”:美容整形屋と美容形成外科医”その43”「相模原編9:美容外科学」
北里大学形成外科・美容外科医局に入局して13年次は一つのターニングポイントになりました。大学病院に於いては、職位により給料が決まるだけでなく、出向しても一度貰った肩書きは非常勤として使用出来ます。その代わり、職位ごとに定年があり、入職後何年次までしか大学病院には居られないことになります。初年時から、2年次までは前期研修医。その後6年次までが後期研修医です。その後は出向しても非常勤助手・研究員で、13年次が定年です。逆に言えば13年次までしか大学での研究員での奉職は出来ません。その後は出向して、大学での職位は非常勤講師になります。私は13年次でやっと研究の機会を得て、博士論文を書けて、審査を待つことになりました。
したがって14年次は大学や大学病院では働けません。出向するか大学医局を辞め
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