2014 . 3 . 30

美容医療の神髄Ⅹ-歴史的経緯第9話- ”口頭伝承話”その9

ここからは、私の学生時代くらいになりますから、父からの聞き語りと、私の実体験が混同してきます。どの部分が父からの口承で、どの部分が私の経験なのかは、どちらも私の記憶の範囲ですので、区別は出来ません。

さて、昭和53年の標榜後に、チェーン店展開、フランチャイズ式広告展開というビジネスモデルが産まれました。コンビニじゃねぇんだよって声も聞こえてきそうですが、そうです、コンビニエンスと言えば利便性=顧客確保法。美容医療は商品ではなくサービス(施術)なのですが、画一化した広告と方法論、コンビニならぬ、オートメーション化した美容医療を売ってって、誰もが一様に良好な形態を得られるかの様な宣伝を、打ちまくる経営に流れて行ったのでいた。

ずっと前にもお話ししましたが、そもそも、人の形態はもな違って産まれ、育ちます。人類60億人が二人として同じ形態のものはいません。美容医療において、ゴールは皆同じでもいいし、個性を残してもいいと思います。雰囲気が違う人達がいなければ面白くないというものです。でも、理想的美はあっていいと思います。誰もが美しいと思う形態は生物学的にも存在理由がある筈です。そこにはもちろん内面的な、つまり知性理性的な真善美も伴っているレベルである筈です。

一人一人が違う形態である限り、理想的な真善美が一点に収斂しているとしても、そこに至る方法論は機会ごとに違う筈です。なのに、広告は一つの方法が全ての人に使えるかの様な提示をしています。これでは、適切な方法によって行われなかった患者が続出します。その結果がもう一度美容医療の非科学的というか、非医療的側面を露呈してしまったのです。

もう一度歴史を反芻してみますと、過去には非科学的な美容医療が横行していて、被害者が続出していました。私は、父や同世代の美容整形医で受けた患者を多く診ていますから、現世では数少ない知識を持っています。現代では、科学的な検証を優先していなければ問題が発火しますから、欠かせません。

ところが、美容医療が資本主義的な意味でビジネス化、つまり美容外科の標榜科の決定によって、市民にとって、一見正統化された医療の様に見えたので、公平とも捉えられる広告戦略が、市民の態度として受けいられる事になったのでした。これは大間違いです。医療においては、実は、一人一人の患者の個性に応じた行為がなされるべきなのは、誰もが理解している筈です。例えばステージⅡの胃癌患者でも、何年か保てばいい患者は胃全摘せずに、人生を全うする余地がありますし、王さんの様に、全摘して生き続けて球界に於いての貢献をしたい人もいる訳です。

もう一度述べます。美容医療は目で見える、形態を希望に応じて改良します。術前の形態が60億通り有るので、一つの理想に向かって改良するにしても、方法は60億通り有ります。もちろんそれでは、やり方が解らないので、類型化して、治療しますが、それでもより多くのバリエーションを持つ方が結果に満足する率が高まります。しいては、美容医療そのものに対する市民の理解がえられます。ところが、広告宣伝戦略は、治療法の画一的総会となるので、実際に受診して、治療を受けたら、適当に画一的治療を強要されて結果、なんか自分に合っていないな、という印象を感じる人が続出しました。

広告宣伝戦略はそんな弊害を拡大したのです。広告宣伝が資本主義的に賞揚される様になったのには、二つの理由があります。一つは、美容外科という標榜科目が政治的に認められた結果=広告が自由化した。コマーシャリズムが、資本主義の前提であり、はっきり言って、だましでもバレなければ許される。

ここまで言ってはヤバいかもしれませんが、チェーン店方式の目的は広告宣伝戦略にあります。先ずはここから説明しました。それでは、チェ—ン店方式、フランチャイズ方式の内容、方法論については次回詳説して行きます。

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