2016 . 2 . 12

美容医療の神髄37-歴史的経緯第37話- ”口頭伝承から、自分史話へ”その14

1年次から6年次を北里大学形成外科医局員として研修をした後、7年次からは北里大学形成外科医局員のスタッフとして、大学での研究をする者は少なく、多くが一般病院に出向しました。私が出向した茅ヶ崎徳洲会総合病院は、形成外科を4年前に開設して、しょぼしょぼ診療していました。でもそれではつまらないので、私はなんとか診療実績を伸ばそうと目論みました。その要因は臨床病院としての徳洲会の特質や姿勢が、元来乗せられやすい私をその気にさせたからでしょう。この後、茅ヶ崎徳洲会総合病院に2年+1年。大和徳洲会病院に2年出向します。医局在籍15年、スタッフとしては9年のうちトータルで5年です。そこで、先ずはその徳洲会グループの沿革と私の印象を紹介しましょう。

みなさん最近話題に挙がったのを覚えていますよね。その話題には印象として触れますが、沿革の一部に過ぎません。徳洲会は皆さんご存知と思いますが、徳田虎雄という医師が開設した病院です。離島である徳之島出身で、弟が救急疾患を診てもらえなくて亡くなった事から、僻地の救急医療の必要性を痛感し、大阪大学医学部を苦学して卒業してから、すぐに開業したとの事です。ここまでは美談です。

でも実は野心家です。病院を作ったはいいが、医者やメディカルスタッフがいなくては診療できません。多くの病院は関係のある大学病院から、医師等を借りたりリクルートして医師を求めます。経験を積んだ医師が居なければ病院は成り立たないからです。徳洲会は、当初は大学との取引関係をもたない独立病院で、大学病院との連携をないがしろにするというかむしろ折り合いが悪いからです。そこで、ある程度の経験のある医師や、医局でのポストにありつけない医師、または言い方は悪いのですが、医局で干されているような医師を一本釣りして、求めました。さらに新人医師からの教育にも取り組みました。すると逆に病院を増やすことも必要をなります。病院を増やしていかなければ受け皿がないからです。そうやってグループを拡大していくとは野心的ですね。

平成5年当時には、すでに全国に30病院がありました。もちろん鹿児島県の離島が主で、鹿児島本土にも3病院ありました。前に熊本に出向した際に解かりましたが、九州の病院の枢要な医師はは九州大学卒業生が多く、九州全土を独裁しているに等しいのですが、鹿児島は遠いために締め付けが甘いのです。だから逆に九州では他には福岡県に、しかもはずれにあるだけでした。ただし逆に言えばどこも割と辺境で、医療過疎というか救急医療の対応不全のところに作られた訳です。関西は徳洲会の創立の病院があり何院もありました。特に兵庫県の海岸沿いは既存の病院の救急医療の対応が悪いため、徳洲会の進出の余地がありました。神戸市各区に開設しました。この年に起きた阪神大震災時には徳洲会グループが大活躍しました。私たちの居た遠く神奈川県からも応援に行きました。この点はさすが徳洲会だし、グループの集約度を見せつけたと思いました。他には東北の辺鄙な地域にも何院もありました。

そして関東ですが、茅ヶ崎が橋頭堡でした。茅ヶ崎市は当時でも人口20万人を超えているのですが、当地には市民病院があるのに、夜間救急対応はルーズというか、当直医は専門科しか診ないという居ても居なくてもおんなじな当直体制でした。首都圏でもちょっと離れると医療は過疎なのです。そんな地域を狙って徳洲会は開設します。言って見れば隙間狙いです。いきなり200床の病院を作り、各科を揃えて総合病院としました。基本的に、外科医内科医救急医は自前で養成します。大学並みの研修プログラムを立てています。指導医は診療手腕は一流なのに大学医局からはみだした様な医師を引っ込抜いて来るので、レベルが高いです。そのうちに新人から養成した医師等がスタッフとして、指導医となります。茅ヶ崎院は昭和55年開設で、私が赴任したのは平成7年ですから外科内科の部長クラスの多くが徳洲会育ちの医師になっていました。私は形成外科医で曲がりなりにも外科系ですから、まずは外科の部長二人と仲良くなりました。

そのようにして、医師が沢山居ます。当時既に茅ヶ崎院は湘南鎌倉病院と大和徳洲会病院と組んで、臨床研修プログラムを立て、茅ヶ崎院には概ね4〜10人くらいの研修医(前期2年は各科をローテーション。後期4年は各科には入り3院をローテーション)が居ましたが、原則的に外科内科産婦人科小児科のローテーションです。自ずからその後の所属もほとんど外科内科になります。その他の専門科の医師はグループ内では養成出来ないので、いわゆるマイナー科目の医師は、大学医局や他院に要請する事になるのです。

だから私は、茅ヶ崎徳洲会総合病院に北里大学形成外科医局から出向して赴任して行ったのです。簡単に病院の説明をしたつもりが長くなったのでまた次回に続けます。