いきなり術前と術後3週間の画像を載せます。違う質の目元になりました。但しこれはこれで、キレイなだけでなく自然です。
楽しそうな患者さん。姉妹で受けられましたから、信頼されています。こういう相手には気合いが入ります。そのため結果が良いだけでなく、経過に対するご理解が有りますので、安心です。
血腫が存在しましたが、もう消えました。経過は遷延しましたが、もう何も無かった様に出来上がりました。目の開きも予定通り揃ってきました。患者さんも「ゼーンゼン左右差がなくなりました。」と余裕の表情です。人間の身体の経過には絶対はありませんが、左右差は自然にありますから、この程度なら気になりません。
私は、定期的に経過画像を提示していきます。周囲からは「こんなにすごい画像提示して、見た人は引くんじゃあない?。患者さん減るかも!」とくぎを刺されることもあります。でも、正直に術後経過を提示しているから、患者さんは安心するようです。現に本症例の患者さんは妹さんの経過をご覧になって知っていました。妹さんの術後経過と最終結果を見て患者さんが殺到しました。他の患者さんにも、標準的な経過が解ると評判です。これもブログをまじめに書いてきたからです。他医の提示する広告の症例は選んでいます。それもダウンタイム中は見せません。だから私のブログが、経過を見せて、患者さんの理解に役立つ唯一のものなのかも知れません。
症例は27歳、女性。先天的に重瞼線はあるが浅くはっきりしない。瞼が重くなってきたのを自覚している。開瞼時に常時前頭筋を収縮して眉を挙げているのは自覚もある。結果として当然頭痛、肩凝りも自覚している。これらは前例の経過を見ているから理解出来ていることで、このような面でも経過を知っていると有用性があるのです。ソフトコンタクトレンズ装用歴は15年。
現症:挙筋筋力(=挙筋滑動距離=閉眼から上方視)は15㎜と正常。後天性腱膜性眼瞼下垂を示唆される。眼裂横径26mm、内眼角間距離32mm、角膜中心間距離58mmと目は離れていないが離れて見えるのは蒙古襞の拘縮が強い証拠。
後天性腱膜性眼瞼下垂症と重瞼の弱さから皮膚性の下垂も合併している。蒙古襞は拘縮し、吊り目が目立つ。決してモンゴリアンスラントのためだけではない。
デザイン:重瞼線は6mmに設定し切除幅は最低量の2~3mm。LT法で挙筋修復を図れば開瞼が得られると予想しました。蒙古襞は一重まぶたに準じて一辺4mmの60度のZ-形成を行い1.5mm開いてもいい。
画像を提示します。上二葉は、左図が術前、右図が術直後。下二葉は左が術後3日目、右が術後7日目です。短期的変化が判ると思います。
下に3週間目の画像。よくできたので、大きく提示します。妹さんの出来上がりを並べてみます。
姉妹揃って美人の目元を作り上げられました。しかも自然にある様な二重瞼で、目力も着いて、目の横径と顔面との比率も適切です。
要するに日本人(東アジア人)の眼瞼部は特殊ですが、日本人の半数は二重瞼で、蒙古襞の拘縮は軽度、つまり吊り目の程度に差異があります。開瞼は良好な方が知的に見えますし、実際に視情報が増えるので有利です。目がパッチリしていた方が、可愛いだけでなく美人です。もう一度最終結果を提示するのが楽しみです。
近接画像で術前、術直後、術後3週間を見ましょう。
3画像は違いがはっきりしていますが、メイクとエクステの差も影響しています。中期的な経過が判りますよね?!。
術直後は右眼瞼の内側の瞼縁に角が見られます。LT糸が掛かっている点です。皮膚はその分相対的にだぶついています。そこから眼頭に掛けて腫脹もあります。術後2週間では消えました。
術直後は左眼瞼も内側1/3の位置に緩い角が見られます。目頭の矢印が刺す方向に注目してください。術前と術直後で変わっています。もちろん開瞼は向上しています。
その通りです。今回の症例ではいくつかの原因が併存しています。ですから、それぞれに対して適切な手術法を選択することが医師、美容形成外科医に取っての務めです。意外とその点を怠る医師が多いので閉口してしまいます。それぞれの患者さんの術前の状態は形態的には当然ながら、機能的にも必ず差異があります。この手術は眼瞼の形態と機能を正常化し、形態を自然状態にするのですが、変化は見えますから、改善度には患者さんの希望を汲むことが求められます。
今回は眼瞼下垂症手術≒重瞼術と目頭切開≒眼瞼下垂症手術について要説します。最近私のブログでは、この組み合わせがほとんどですが、何故か?。その方が自然だからです。前回と前々回は眼瞼下垂症と吊り目に付いて詳述しました。今回は二つの線が繫がります。
東アジア人では、突然変異により眼瞼が開き難い形態と機能を発現する遺伝子が生じました。彼等は一重瞼で目を守り、眼瞼下垂傾向になります。一重瞼には蒙古襞を伴い眼裂横径も小さくします。約2万年前に、北東アジア(満州からモンゴル)で寒冷地適応として淘汰されて、その遺伝子が蔓延しました。当然日本には渡来人と共に流入しました。もっとも日本には、最終氷河期に地繫がりだった際に海洋民族である東南アジアからの先住民も定住していましたから、一重瞼遺伝子を持たない者も残りました。日本人では現在まで統計上で半数ずつとされています。
一重瞼の遺伝子が発現すると、二重瞼の遺伝子を持つ人と比べ蒙古襞が被さり、平均3㎜の差が有ります。蒙古襞は拘縮して、吊り目になると同時に眼瞼内側方面の開瞼を邪魔します。つまり開瞼に抵抗し、眼瞼下垂症の原因の一つになります。
また、一重瞼では眼瞼の皮膚が元来長い訳では無いのに、眼瞼と一緒に持ち上がらない為に被さります。第一眼位で皮膚が瞼縁にかかるのが一重瞼の定義です。その状態では視界が得られないので、開瞼時に反射的に、前頭筋が収縮し、眉を挙げて眼瞼の皮膚を引き上げて、目を開く様に神経にインプットされます。最近判った来たのですが、開瞼時に前頭筋が使わ続けると、眼瞼挙筋の筋力の発達が止まる様です。
私は先天性二重瞼です。先日亡くなった母の遺品整理をしていてアルバムを見つけたのですが、私の幼少時からの写真を見ると、成人に向けて開瞼が向上しています。10歳前後までは、今みたいにパッチリしていませんでした。別に手術した訳では有りませんが、(今となっては父母とも物故していますから、聞き出せません。)年齢と共に開瞼が向上しています。そう言えば医師になって大学病院に就職した際のメンバーカードの写真では、ギョロッと目を開いています。眼瞼挙筋筋力は成長する様です。
もとい、一重瞼では前頭筋収縮で開瞼するので眼瞼挙筋の寄与が少ない為に眼瞼挙筋が成長しないと考えられます。一重瞼の患者さんでは、挙筋機能が12m前後と正常下限値の人がほとんどです。それに後天性眼瞼下垂症の発症も早い様です。
これまでの知見を総合すると、一重瞼の人は眼瞼下垂症を伴う率が高く、一重瞼の人は蒙古襞の拘縮による開瞼の抵抗を伴うために機能的疾患である眼瞼下垂症と形態的に吊り目を呈するのが典型的だと考えられます。
一重瞼は皮膚性眼瞼下垂症ですから、二重瞼にする重瞼術は受けるべきです。その際、眼瞼下垂症を伴う率が高いので、眼瞼下垂症手術を同時に行なうべきです。希望に依って重瞼術単独施行後に、皮膚が持ち上がったら眼瞼下垂症が露呈してアララな事が少なからずあります。だから診察時に同時に施行する様に奨めています。一重瞼を二重瞼にする重瞼術を受けるなら、蒙古襞の拘縮も二重瞼に合わせて改良するべきです。機能的に損失が有るだけでなく、形態的に二重瞼なのに蒙古襞が被さっていると不自然になります。
そのような訳で、重瞼術≒眼瞼下垂症手術≒蒙古襞の拘縮解除手術(Z−形成法に限ります。)の同時手術が機能的にも形態的にも自然な状態を取り戻す手術なのです。本来人間は二重瞼です。突然変異遺伝子が一重瞼を発現させましたが、異常であると言えます。人間70億人のうち一重瞼者は10億人以下で異常範囲の割り合いです。そもそも目が小さいと情報量が少なく、知的作業をするにも、労働作業をするにも機能が低いと考えられます。前にブログに書いたのですが、プロサッカー選手(H選手)が眼瞼下垂手術を受けて活躍したのは医学的に合致する事例です。野球選手でもフライを落とすのは一重瞼の人が多い様です。私の作った二重瞼は作った感がなく、普通の顔(二重瞼の方が自然)になりますから、その方が自然なのです。昔の手術は下手だったので、やった感の見え見えな二重瞼が多かったので、さすがに不自然でした。M党の二代目のK総理が代表例でしょう。私は父のそんな症例を治して来ました。
アッチコッチ話しが跳びましたが、いつもの手術の組み合わせは自然な形態と機能を作り上げられる、とっても良い治療です。
本症例は姉妹で受けられて、経過と結果をよく理解されている症例ですから診察が容易でした。むしろその際に、楽しかったくらいです。次回以降結果が見えてきたら、紹介者である妹さんとの比較も加えて、その診断と治療結果を論じてみたいと思います。何しろ目がパッチリ、クッキリで吊り目が解消しています。次回は術後6週間目に提示します。