2018 . 5 . 5

美容医療の神髄-歴史秘話第108話-”口頭伝承”:美容整形屋と美容形成外科医”その83”「地方都市26:美容外科医は辛いよ!」

一見すると誰が得をするか判らない。少なくとも稼ぐ私が偉くなったように勘違いする経営体制のための借金ですが、そこに落とし穴三つありました。税務面と利息の額と返済義務の問題です。

先ず税務面ではこうなります。元来ロイヤリティーは、医院を借りる際にオーナーに投資してもらったのに対して、不動産等の持ち主であるオーナーに使用料として払っている形になるので、あくまでも経費です。私が確定申告時に申告して税額を減らし、オーナーはどのように申告しているかは判りませんが収入になっています。ところが上に挙げた様にロイヤリティーは減額して、返済は月100万円=年に1200万円ですが、その借金の返済は経費に相当しません。返済費用分の収入には税金が掛かります。つまり収入が同じなら税額が増えます。もちろんオーナーは返済される金は申告しません。同じ収入でも税金を払う人が変わります。これをマネーロンダリングといいます。そもそもオーナーは組から原資を借りて私に貸して、儲け(利息)を引いて組に返しているので組の金が税金の掛からない金に化けたのです。私が代わりに税金を払います。この点に付いては税理士との検討で判明しました。その後いくつかの手を打ちますが、次回にしましょう。

次に利息の面ですが、当時はまだ利息制限法が成立していなかったので、2400万円に年率29.2%が掛かり、元利均等で月100万円が38回=3800万円の返済を約束します。利息分は3年ちょっとで1400万円です。もちろんこの分はKb.氏の売り上げですし、私の経費(利息という項目があります。)です。Kb.氏も申告する筈です。私がどうするかは次回説明します。その後利息制限法が成立しますから最終的には返済額が変わります。Kb.氏の使う元金は組から出しているかも知れませんから、儲けの一部はマネーロンダリング(上納金)になって居るかも知れません。何れにしても、ロイヤリティーに加えて1400万円を儲けさせます。

こうしていくと、借金で縛っていけば38か月間私に稼がせて、そこからKb.氏は無税でかすめ取ることが出来るのです。いい商売ですね。私は大分院の美容外科医療の仕事は面白いから続けていたいのでそれはそれでいいのですが、感情的にはいやな気分ではあります。それに相手はその筋ですから、その後面倒も起きます。最後にはどんでん返しもありました。

その辺はまだまだ先の話しとして、段々解き明かされてきたやり口を、次回もう少し説明していきます。それには周囲の人員も関わります。

当初の目論みと違って、Kd氏は使い走りみたい(亡くなった人に対してさらに落とすようで申し訳ない!)になっていたのでした。まずは稼げる人を見つけて金を借りて売り上げを管理しながら適時抜き取ることで儲けよう。または得しようとしたのでした。コムロで人脈は作ったし(私もその一人でした。)、患者集めのノウハウも身に着けたし、金はちょっと稼げばそれを原資に増やせると考えたのでしょう。一つ落とし穴がありました。大分のクリニックは、その前に院長だったE先生(父の碁仲間で私も美容医療協会で引き立てられていた。)の出身地が日田ですから、クリニックの規模というか立地や作りが贅沢でした。Kd氏がいつどこから話を持ってきたかは今となっては不明ですが、原資が不足するのは火を見るよりも明らかでした。Kd氏の出身地は宮崎でしたが、自然発生的に不動産業を営むKb氏と繋がり、投資を依頼する様になったのです。そしてその筋の人だと気が付いたときはもう嵌っていました。足を洗えなくなったのです。その後消されることになるのも結果的に予定調和だと考えられます。

オーナーとなったKb氏が何をしたかというと、不動産等に対する投資です。約3000万円のうち、ビル診の保証金に約1000万円、何しろ大分駅前ロータリーの向かい側で立地条件から当然です。それでも、まけさせたらしいです。kd氏が退場した後に私が第二保証人になる際に領収書で確認しました。他に屋上の電飾看板に300万円かけたそうです。書類を見ました。残りで院内設備も買い足しましたし、脱毛レーザーも買いました。この総額は後年私が院を買い取る話が挙がった際にたたき台にしました。

それはそうとして、Kd氏にはさすがに用意出来る筈はない額を速やかに用意して、数か月のうちにクリニックを整備しました。さすがですが、もちろん原資は組が関与していると考えられます。金子:キンスと言うのだそうです。組とはもちろん広域○○団で会津○○回だそうです。Kb氏は元構成員でこの組には在日が多いのも有名です。武闘派と呼ばれるその組は、在日を構成員にして、当時は万景峰号に現金と一緒に在日の構成員を乗せて行って現地で武器調達?や戦闘(武闘?)訓練をしていたらしいのは有名ですが、小泉訪朝後は途絶えました。実際にはKb氏は年齢的に上層部には行けなかったので、足を洗う形を取り、堅気のふりをしてキンスとして繋がりながらシノギをしていた訳です。キンスの繋がりは時に取立て等で暴力を要するからです。脅しにもなります。調べたところ、準構成員として警察にも登録されていました。これも後で地元の弁護士に相談に行った際に教えてもらったのですが、こういうのをフロンティア―と言うのだそうです。

フロンティア―とは開拓者ですよね。市民と経済的につながりを持ち、組のキンスをとつながりを作らせて、稼ぎの一部を上納金の代わりにすることで組に貢献する訳です。足を洗っていることになっているので準構成員とされているのですが、後に経済的抗争を装って他の組と対峙するシーン(ドラマみたいな暴力的示威行為です。)が起きますが、組を名乗ってかたを付けたことからして、ちゃんと繋がっていたのは確かです。ちなみに借金の保証会社から、後日書類が来るのですが、その名称は住友信販とかいうもっともらしい会社ですが、住所は会○小○会と同じでした。これがカラクリで、暴力を見せ付けて金をせしめることがシノギです。

カラクリはどうあれ、まだまだストーリーは進みます。大分に開業した平成14年から進んでいませんでした。それに、歴史のうち美容外科の斯界の話題や、父との邂逅も止まっていました。次回再現してみたいと考えます。