立て続けに当院の売りであるZ−形成法による目頭切開=蒙古襞の拘縮解除術をご紹介してきました。いかに素晴らしい結果かは画像が教えてくれます。 先ずは術前=3年前に他院でズレたW−形成法での目頭切開術を受けられています。ゼーンゼン数字が伴っていませんし、挙がっていません。 拡大像をお示しします。 術直後です。 近接像です。 内眼角間距離は計算通りに36㎜となりました。画像上ではいい感じのサイズに変化が見て取れます。内眼角間距離は一つの数字的な目安に過ぎませんが、目安なしにはデザイン出来ません。数字的に言えば、理想のサイズである右眼裂横径:内眼角間距離:左眼裂横径=30:30:30㎜の人はアジア人では滅多にいません。これまでに2人見た事があるだけです。ちなみに私は28.5:31:28.5ですが、よく大きいと云われます。白人では理想サイズの人が25%程度はいると思います。日本人では、私の推計では一重瞼の人で25.5:36:25.5、二重瞼の人で27:34:27となります。ですから、内眼角間距離は36㎜以下なら離れていない方と見られます。ただし、眼球の位置の距離が内眼角間距離に影響します。眼球の角膜(黒目)中心間距離は私の推計では平均で60㎜です。ただしこれは顔面の幅に影響されます。顔の幅はやはりアジア人では大きく、私の(父の時代からの50年間の計測の)推計によると、130㎜以下が小顔で、平均135㎜です。ちなみに顔の幅を5等分したら、目の横幅になるのが理想とされています。これはレオナルド・ダ・ヴィンチの説ですから白人の計測に基づきます。日本人では当てはまる人はいないでしょう。 両側眼瞼像を比較すると、明らかに目が大きくなっていますよね。そして若干たれ目気味に見えます。下眼瞼の外側が丸く下がっていて、上眼瞼の内側、つまり目頭が上に移動しているからです。過日も記しましたが、モンゴリアンスラントと言って、目頭と目尻の高さは吊り目がアジア人の特徴です。日本人では約5度ですが、韓国人等のモロなアジア人では10度もざらです。目頭切開は位置を挙げますから、モンゴリアンスラントが解消する作用があります。実際本症例でもその効果が見えますよね。 でも・・、よーく見ると左右差が見られます。下に写真をを提示します。左が一週間後、右が2週間後です。 前回の手術デザインが不明でしたし、それも左右で違いましたから、今回の術後もピッタリ同じにはなりませんでした。目頭の矢印の向きが、右は横向きなのに対して、左はまだ下向きです。本来目頭が下向きなのは、蒙古襞が外上から斜め下にあり、下眼瞼の内側の延長は水平に近いからです。目頭切開で、蒙古襞を解除すれば横向きになります。問題は程度の問題です。上の向いた目頭はあり得ません。横向きが目標です。本症例では右側では丁度いいでしょう。対して左は不足感が残っています。ただし敢えて残っていますと言うからには、中期的変遷を期待していたからです。理論的には創跡の拘縮が和らぐのは数週間後です。その際は今より挙がっていると思います。 そして術後6週間で来院されました。見事に揃ってきました。 目頭の角度が揃ってきました。やはり前医の手術の瘢痕の左右差があったところを、私が左右同じのデザインで手術した為に、瘢痕拘縮の程度に左右差を生じたのでしょう。瘢痕拘縮は術後6週間頃から、成熟化(創傷治癒期を得て柔ぐ事)していくのです。目頭の形はこうあるべき症例でしょう? 敢えて今、この手術を反芻してみます。再度左に術前と、右に6週間の画像を並べてみます。 まず、前医の手術が事足りなかったのは確かです。蒙古襞の拘縮が改善されていない為に、目頭に上からひだが突っ張り下と鋭角に交差しています。そのため吊り目っぽく見える。キツい感じに見える。内側の上眼瞼のカーブが落ちている(つまり眼瞼下垂状態)。サイズはやはり目が離れている。内側の白目が隠れているため、寄り目に見えます。術後は内側と外側の白目が均等に近づき、この点は解消しています。 既に涙湖が見えていますが、これは眼球の位置が離れているからです。通常、蒙古襞があれば涙湖は見えなくて、蒙古襞が軽い人は涙湖が見えるというのが日本人の標準です。二重まぶたである私の涙湖は見えます。要は見える涙湖の形が問題なのです。下向き気味の三角だとキツい印象ですが、横向き三角だと可愛い印象です。二重まぶたのタレントさんでも個体差があります。よく見ると目頭の形がキツい印象と優しい印象を分けている様に思います。今回の症例ではそこに重点を置きました。Z−形成術による目頭切開=蒙古襞の拘縮解消術ではそれが達成出来ます。その結果目元の印象が優しくなりました。 サイズ的には、これで満足して頂けると思います。内眼角間距離は36㎜ありますが、眼球間距離があるのでこれ以上は寄せられません。感じが優しく出来たので、患者さんは悦んでいます。微妙な差ですが、目の窓の形がアーモンドアイになってます。術前は内側が曲がっているためカシューナッツと形容しておきます。 そうは言っても長期的(数ヶ月で瘢痕が更に成熟)した際の形態を、もう一度提示したいと思います。
昭和62年北里大学医学部卒業。同年北里大学形成外科入局。形成外科、美容外科研修の他、麻酔科、一般外科、整形外科、救命救急科をローテーション研修。平成6年日本形成外科学会認定専門医を取得。
平成10年には銀座美容外科医院副院長として父、森川昭彦とともに診療した。翌年は北里大学で研究し、医学博士取得。平成12年日本美容外科学会認定専門医を取得。平成14年からは多くのクリニックで院長を務める。
平成20年かねてから診療方針に共感していたDr.池田欣生総院長の銀座いけだ・クリニックと大阪池田クリニックに勤務。