カテゴリー別アーカイブ: 医療

2017 . 11 . 30

黒目整形非切開法は素晴らしい結果なんです。

黒目整形は、黒目(角膜)を大きくする手術ではありませんが、角膜の露出を増やします。つまり開瞼力を強化します。開眼時は眼瞼挙筋の収縮が起きますが、不随意的です。いや、覚醒して行動している間には、目を開いていたい意志は働いていますが、力を入れている自覚はないでしょう。本当は眠くても、やらなければならないことがあるから目を開いていようとするなら、その時は逆に随意的な行動です。 ただし収縮の程度、つまり目を開いた時の大きさは不随意に(自律神経系の働き)に調節されていて、しかも挙筋の筋力は先天的に個体差があり、また筋力が瞼縁に伝達されるかどうかの構造にも後天的に個体差があります。 また瞼縁が挙がっていても、皮膚が一重瞼や加齢による弛み(皮膚伸展)で被っていれば、黒目の露出は減ります。このよ
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2017 . 11 . 29

口唇短縮術後の修正術をしました。通常の一回目と経過は変わりません。口角挙上術も施行しました。さすがに二次修正手術では傷跡が長引きました。

口周りの手術が引っ切りなしです。切開手術は形成外科出身の美容外科医で受けるべきです。提唱してきたのが効いているのかも知れません。チェーン店系の非形成外科医の美容整形屋は縫合法を習熟してないので手を出してもらいたくないので良いことです。ところが本症例は前回形成外科診療を齧った医師が手術しましたがご覧のとおり傷跡がまずい。しかも位置が違う。そして効果も足りないと症例患者さんは訴えました。治しましょうということになりました。 症例は39歳、女性。口がもこっとしているので、歯科で矯正治療をして歯を後退させた。その結果歯牙は下がったが上歯槽骨は下がらないので、赤唇部は後ろに下がって白唇部が前突した形態を呈した。約1年前に白唇部切除を前医で受けた。何ミリ切除かは不明だが、効果が見られなかった。気に
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2017 . 11 . 22

童顔で可愛いのは目元の雰囲気です。

このところ口周りの手術を立て続けに提示してきました。口周りだけの画像提示なら個人の識別が着きにくいからですが、その上口周りのの手術症例はそれなりに高額なので、大部分の患者さんはブログへの提示でコストオフを希望するからです。対して眼瞼の手術は切開法で眼瞼下垂症手術に重瞼術を加える場合は保険診療になりますから、コストオフをできません。同時に目頭切開を併施する必要性がある症例ではこちらは自費になりますから、コストオフを希望される症例も少なくありません。今回の症例は目頭切開の必要性が高い一例です。なお、目頭切開は当院の得意のZ-形成法以外の方法を受けてはいけません。特に本症例の様な蒙古襞の場合には絶対的です。何故かは後段で説明します。 症例は28歳の女性。先天性一重瞼で5年前他院で埋没法重瞼術
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2017 . 11 . 9

口角挙上術の追加手術→結構いいんだけど、他の部位も治してきたから評価不能。その後の画像を追加します。

上口唇(白唇部)切除術と口角挙上術の組み合わせ手術の形態は良好です。動的なDynamic 形態と静的なStatic 形態がありますが、動きも正常化し、セクシー度合いが挙がってきました。他の患者さんが本症例をご覧になって、「唇の形が石原さとみさんみたいに可愛くなっていますよね!」って云っていました。表情に富んだ口元という意味でしょう。キュンっと挙がった口角が好感を呼ぶのでしょう。本症例はその点で満足な形態を得られたそうです。それは最大限希望を汲んでの手術法というか、切除幅を大きくしたからですが、患者さんは、「創跡の問題は置いておいて、次に進みたい!」と切り出されました。口角の追加切除です。 その前に先ずは前回の経過を示します。症例は26歳、女性。ご覧の様に歯列矯正中ですがそれは前後位置で
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2017 . 10 . 26

美容医療の神髄-歴史秘話個人編-美容整形屋と美容形成外科医「番外編:美容外科医の家族は辛いよ!8」

歴史編最期段で話すはずの話題ですが、母と父の話題はもうすぐ終わりますから先行します。 父は平成17年に逝去しました。その際、母を会わせようと呼びに帰りました。臨終には間に合わなかったけれど、声を掛けました。さすがに何と言ったか覚えていませんが、そこにいた事務長は退散しようとしたので、母は誇らしげに「長い間面倒見て下さってありがとうございました。」と毅然と告げ、「あとは子供達と孫達と私が執り行いますからね。」と宣して、私が喪主扱いで式まで済ましました。何しろ父は私生児で、親戚は一人も居ません。母の兄弟は結構父と繫がりがありましたから、母の兄弟を呼んで弔うしかなかったのです。 もちろん、美容外科の斯界の面々には知らせましたが、みなさん焼香だけにしました。今でも覚えています。高須先生は
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