カテゴリー別アーカイブ: 美容外科

2013 . 10 . 29

フェイスリフト;FL の既往が判る変化→それでは、治しましょうよ!

世の中には、フェイスリフトを超本気でする、一部のマニアックな美容外科医がいます。かと思うと、超軽い手術をする美容整形屋も数多くいます。 ⑴どこが挙って治って、どのくらいもつか?、⑵創跡がどれだけ目立たないか?、⑶合併症は無いか?。(それにいくらか?。)患者さんはそんなことを選択基準にします。実は手術直後には、どんな手術をしてもいい結果が得られるのですが、傷跡は数週間経ないと不明です。その違いは上手に縫っているかどうかです。後戻りはひどいときは一月以内に起きますし、1年で比べるとピンからキリまであり得ます。*後戻りとは、例えば何㎝挙げたら、齢と共に戻るという自然現象ではなく、手術の後に皮膚がちゃんと癒着して形を保てる様になるまでの何ヶ月に、緩んでいく為に起きると考えられます。数字的に例証
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2013 . 10 . 18

続き

昭和40年代には美容整形が盛んになり、形成外科医も整容外科と称して参入し始めます。学会というよりは寄合いに近いのですが、(まだ標榜が認められないので学会としての公的独自性がない。)二つのグループがしのぎを削ります。 そうしているうち公的な認知を求めて、つまり裏街道的に寛容されている美容整形を表だって行いたくなったのです。日陰者、前回最後に紹介したやくざ医師と呼ばれる立場からの離脱を図りたくなるのは、人として当然の感情であり、名誉も得たくなるのです。 そこで必要なのが、標榜科目です。標榜というのは、法令上広告可能な科目名です。美容整形は、法律上では、広告さえも禁止されていた訳です。もっとも父は銀座整形の看板を立てていました。十仁病院は美容整形を宣伝していました。お上に指摘されなけれ
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2013 . 10 . 17

美容医療の神髄Ⅳ-歴史的経緯第二話- ”口頭伝承話”その2

昭和40年ころまでは、美容整形の医師は、見よう見まねでまたは、創意工夫して診療していました。今だに市民間にも、医療者にも残っている感覚として、美容医療は福祉目的でないため、医業に過ぎず、そのため同業者にまたは、その斯界の他者にノウハウを明かさないという面があります。通常医療従事者は、保険診療とは国民の衛生、福祉を目的とします。したがって学会等で医療者同士や市民に啓蒙、教育することも業務です。しかし、美容医療は医療でありながら、啓蒙活動に不熱心であったのです。つまり、医学的見地のない医業として行っていた訳ですが、次第にそれではいけないという風潮が芽生えてきました。 昭和31年に東大で形成外科診療班が発足し、警察病院へシフトし、他大学でも徐々に形成外科が行われるようになります。既に欧米では
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2013 . 10 . 8

美容医療の神髄―「器用なんですね!」って、美容医療の基本というか..。

美容形成外科医の私は、患者さんによく言われます「先生器用だから上手なのですよね!。」私はそれに対していつも言います「違います。外科医の能力は,第一にてっぺん=頭、知識と経験が結果を作ります。そして、所見を基に、患者さんとコミュニケーションをはかる、つまり口と耳も道具です。第二に頭の前=視機能です。個々の身体は解剖学的知識に裏付けられた典型的な形態に限らず、変異、変形、疾病が有る。だから医療が必要なのです。手術をしていく際に目で見て把握していき、それに応じて対処していき、形態をどのように治すが外科医の能力です。第三に手です。手は脳が動かすのですが、神経、筋、知覚は手に有ります。これらは必ず加齢と共に衰えますが、培ってきた頭の能力があればレベルは保てます。つまり器用な行為は頭、目、手の連携で成り
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