カテゴリー別アーカイブ: 美学

2016 . 5 . 26

美容医療の神髄47-歴史的経緯第47話- ”口頭伝承”:父は美容整形屋、私は形成外科・美容外科医。自分史話へ”その23”

という訳で、前回9年目から美容外科でのアルバイトに勢を出す事になりました。 その上で北里研究所病院での父と私で二代に渉る在籍の話をちょっとして、ついでに北里研究所の仕事(アルバイト)の方針を父子で笑う話。その後のJSAPSとJSASでの二人の行動について記していくつもりです。 次いで、JSASで父が会長するのは1996年=平成8年=私は10年生(北研2年目)と1999年=平成11年=私は13年生(大学にて研究員)ですが、私は平成8年には加入だけします。11年には発表もします。そのいきさつはまたとします。また日本美容外科医師会は1997年平成9年に発足しました。その後の変遷も後段に廻します。 前回9年目10年目の北里研究所病院に出向中のアルバイトの話で盛り上がりましたが、結局
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2016 . 5 . 18

美容医療の神髄46-歴史的経緯第46話- ”口頭伝承”:父は美容整形屋、私は形成外科・美容外科医。自分史話へ”その24”

その後も二つの美容外科学会は合併しません。その流れと動勢は今後話していきますが、平成7年当時の一瞬の合併策は私には、大きな動きをもたらしました。何故かと言うと、JSAS側のクリニックに大手を振ってバイトに行く事が出来るからです。こうして、当時最新の美容外科医療をともに研鑽する機会を得たのです。 それでは私のアルバイト歴を記していきます。今でこそ私は、美容整形上がりの美容外科医の下で育ち、”産まれながらの美容外科医”として生きて来たつもりです。でも、北里大学医学部を卒業した際に、母校の形成外科医局に入ってから形成外科の道に浸かっていました。 ところが、9年目に北里研究所病院に出向してからまた、新たな道が開けました。何が変わったのかと言うと、アルバイトを勧奨されたのです。しかも病院で
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2016 . 5 . 12

美容医療の神髄46-歴史的経緯第46話- ”口頭伝承”:父は美容整形屋、私は形成外科・美容外科医。自分史話へ”その23”

1996年=平成8年=私が10年生(北里研究所病院に出向2年目)に父は日本美容医療協会の理事選に立候補をすることにしました。JSAS側の重鎮として、JSAPSが主導して作った公益法人にも足場を置く事で合併の方向性を後押ししようという決意です。その方法から書きます。 そもそも、私が非形成外科の美容整形外科医(父は好んで自称していました。)の父の下で美容外科医を目指していたのに、当時既に増え始めていたチェーン店系に就職しないで、北里大学形成外科に入局し、同時進行で父の下で父と共に美容医療を研鑽して来たので、二股になるのが当然でした。父はJSASでの立場は重鎮として確立していたので、次第にJSAPSにも頻繁に顔を出す様になったのです。 その際、私がそちら側にスタンスを置いているから、「
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2016 . 4 . 21

美容医療の神髄45-歴史的経緯第45話- ”口頭伝承”:父は美容整形屋、私は形成外科・美容外科医。自分史話へ”その22”

”キャッチフレーズ”は、「二つの日本美容外科学会を一つに!」こうして父はコウモリになっていくのでした。コウモリとは、洞窟の中であっちとこっちの壁を飛び回る動物を比喩していわれていたのです。私は二股とも表しました。そして私も巻き込まれていきます。今回そこからですが、北研での父の懐古談もあります。 私が数多くのバイト先で非形成外科医の美容外科医と交流する様になり、父も各院長に学会で声を掛けられたようです。平成8年(1996年)の10年次に北里研究所病院形成外科・美容外科に勤務しながらです。その前に日本美容医療協会の動勢から。 協会は、1992年に平成4年は私のチーフ学年時に発足しましたが、当初は15人の理事に十仁病院のU院長を発足時の理事としていました。他は皆、大学の形成外科の教授陣
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2016 . 4 . 21

視界不良で可哀そう!、だったのがいつもの眼頭切開=蒙古襞による拘縮解除術と、眼瞼下垂切開手術で人生変わったよ!

今回の症例は17歳、女性。典型的なPuffy eyeです。開瞼不良という機能障害が見られるわけですから、だから可哀そうなのです。もちろん症例の患者さんは、幼少期から開瞼不良というか目が小さいのは自覚(もちろん他覚的にも)していた。挙筋機能は12mmとやや低下。フェニレフリンテストでは、開瞼の強化が見られない。眼裂横径:24mm、内眼角間距離38mmで蒙古襞が目頭を隠し、内側の白目の面積が外側の白目の半分しか見えない。いつものやつ!。一辺4mmのZ-形成術による眼頭切開を蒙古襞による拘縮解除術 を兼ねて施行し、眼瞼下垂症については、重瞼術が必須で脂肪を除去するおよび、挙筋を強化するLT法を追加しました。Puffy eyeの原因である眼窩脂肪は焼灼によって減量しました。術前術直後の画像を比較すれ
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