12年次は平成10年、1998年です。銀座美容外科に於ける、フルタイムの美容整形というか美容外科的診療経験は私を一団飛躍させました。それまでいくつもの美容外科チェーン店にバイトに行っていたし、銀座でもバイトしていたのですが、フルタイムだと大違いでした。患者さんに対する責任を感じながら、経営も考えていかなくてはならない。そこで持ち上がったのが週末のバイトの件でした。
その前に話は飛んで戻って、基礎研究と臨床研究の続きがありました。9年次に北里研究所病院で毛の移植の研究をしたのは、前任のS教授の提案でしたが例によってはしごを外されて頓挫しました。前の教授は、TBCから金だけもらって後は適当にしろっていう策だったのです。その後どこでどう繫がったのか北里大学形成外科医局の研究テーマに移行し、一
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カテゴリー別アーカイブ: 日本美容外科学会(JSAPS)専門医
美容医療の神髄55-歴史秘話第55話- ”口頭伝承”:美容整形屋と美容形成外科医の二人の行動が歴史を語る。”その31”
銀座美容外科に出向した平成10年の続きです。
日本形成外科学会認定医受験ための勉強の結果、形成外科医として、最低限の知識が身に付いています。形成外科の知識は医学部の卒前教育では僅かしか触れません。また比較的新しい医学分野なので、年配の医師はその存在さえ知りませんし、美容整形や美容外科との区別さえ出来ない医師が大多数です。いってみれば形成外科医療は隙間産業で美容整形は成長産業でした。でもだからか、美容整形は体系的な医学上の学問に裏付けられていません。体系的な医学を確立していません。それどころか、医学的知識なしに診療して来た為に、医学的にあり得ないような行為が行われ、確かに少なからずの合併症例が存在しています。
そして、私はその1年間で愕然としました。あり得ねえ〜な術後合併症を数々見
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美容医療の神髄54-歴史秘話第54話- ”口頭伝承”:美容整形屋と美容形成外科医の二人の行動が歴史を語る。”その30”
時系列に戻ります。平成9年(1997年)の茅ヶ崎徳洲会は一年で辞します。翌年は銀座美容外科医院に北里大学形成外科・美容外科医局から常勤で出向します。この年には研究を再開します。もちろん臨床的には美容形成外科を診療します。JSAPSでの発表もします。常勤で美容外科診療をする際には、経営も頭に入れなくてはなりません。その結果予期せぬアルバイトの口も発生しました。
そのときでしたか、北里のUc教授が声を掛けてくれて、翌年大学に戻ります。その辺りの経緯からその後への方針が見えて来ます。そこで平成10年(1998年)12年次から再開します。
銀座美容外科医院は昭和36年に父が開業した無床診療所です。当初は整形外科と皮膚泌尿器科を標榜していました。これまでご紹介した通り、銀座東一診療所と言っ
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眼頭切開=蒙古襞による拘縮解除術=Z-形成法は黒目整形の一部で、切開法による眼瞼下垂手術も黒目整形の一種です。まだ経過中ですがお悦び
切開法の手術が多く取り上げられています。みなさんの参考になると考えているからです。実際これを見て参考にして来院されます。そうした患者さんはかなり理解されています。何故なら、私は包み隠さずに経過を載せているのでからでもあり、また、症例はした方がいいことをしているから、確実に改善が見られるからです。
症例の正面画像を提示します。下左が眼瞼下垂症を呈している術前で、下右が術直後です。
さすがに術直後は腫れてます。もちろん、オーバーに開いてしまっています。実は、過日ある患者さんが、このブログの術直後の写真を見て、「結構腫れがすごいですね!」と言いました。他医の提示した画像を見せてくれて、「直後でもこんなに腫れていないんですね。」と言います。「ええっ、参ったなあ」と言いながら、よく
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眼の開きが強いのがお好き?、二重が広いのがお好き?、1週間で見てアレッ?ってなわけで治しました。
過日他院で埋没法が行われた後に物足りなくて、当院で切開法を敢行しました。開瞼の向上という結果は出ましたが、左右の微妙な開瞼の差と瞼縁のカーブという形態と機能の問題。前頭筋収縮の非対称、影響して重瞼の非対称が無いとは言いません。
素直に認めて、でもサービスを込めて修正してきました。今回も見える修正点を埋没法で左右1本ずつ、黒目整形を加えてみました。
上の画像が術前術直後です。両眼共に画像上で開瞼が向上しています。もしかして患者さんが力を入れてくれたのかも知れません。
でもよく見ると右に比して左が弱い?。下の近接像で比較してみましょう。
上の画像2枚は前回の術前の左右近接像。どちらも開瞼が足りないと訴えられました。じゃあ中央だけでも切らない眼瞼下垂手術=黒目整形=
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