症例は58歳女性(えエ〜ッ!私より一つ下)。これまでにいくつもの美容医療を受けてきている。今回は、眼瞼のお治しから提示させてもらうことになりました。もちろん他の部位の相談も受けましたが一つ一つ取り組んでいきます。実は他の手術も同時にします。
切らない眼瞼下垂手術をこれまでに3回受けて来ました。どうしても後戻りし、画像でご覧の様に瞼縁が黒目に架かるので、フェニレフリンテストをしてみると充分に挙がるので、今回は私が精一杯挙げる様に気合いを入れて手術しました。ラインも若干広げたい希望でした。
術前と術直後の画像を並べます。
開瞼を強化しました。やり過ぎですが後戻りを計算しての事です。重瞼は狭くなります。でも目力が入っています。重要なのは瞼縁の形です。これまでの手術の写真を
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カテゴリー別アーカイブ: 目の整形
目が離れてたのはやはり蒙古襞の被さりと狗縮の解消で治せました。長期経過を再掲します。
これまで何例か目が離れている症例を提示してきました。この症例に対しては、目頭切開が必須ですが、シミュレーションしてみないと解りません。でも術後診ていくと、自然な形態に出来上がりつつあります。今回約2年前の症例の画像を戴きましたので長期経過を再掲します。
症例は25歳、女性。先天性一重瞼。6年前埋没したが、外れている。LF挙筋機能11.5mm(正常値>12㎜)と先天性筋力低下に因る眼瞼下垂傾向だが、一重瞼では正常下限と考えられる。計測すると、眼裂横径は25㎜と一重瞼の人の平均だが、内眼角間距離は43㎜と正常範囲から逸脱している。でもそれは角膜中心間距離(平均値60㎜)が67㎜と、眼球が離れているからで、内眼角間距離から7㎜減じると内眼角間は36㎜と考えられ、蒙古襞の程度は一重瞼の平
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目頭形成(切開)単独手術。”国民”!に理解されてきました。
目頭切開は戦前から行われています。国民的手術です。もちろん施術者は数少なく、しかも不自然な形に造られてしまっていた様です。
戦後(WWⅡ:第二次大戦)には、連合国に占領された我国にUSAからGI(軍人)が駐留しました。敗戦国の国民である日本人は経済的に困窮した結果、特に若い女性はGIに身を売って食わせてもらうため腕にぶら下がりました。その際日本人女性がGIにモテるためには外人(白人)顔に変える美容整形(当時はそう言いました。)を受けました。であれば当然、目頭切開手術が必要でした。その後高度成長期にに向かって、雨後の筍の様に美容整形屋が林立しました。東京で言えば昭和40年には山手線の各駅には美容整形が存在してました。つまり29軒以上です。中央線沿線も数えると約50軒はあったそうです。
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眼瞼下垂症手術に目頭形成術の結果は素敵で、自然な形態と機能を作り上げられます。
このところ眼瞼セット=眼瞼下垂手術+目頭形成術が流行っています。SNSでは評判の様です。目頭形成術という手術名称も徐々に巷間に膾炙してきました。先日は早速患者さんが「目頭形成術はどうですか?。」と口にしました。
目頭の蒙古襞の狗縮は目頭切開(切除)手術をしても治せません。特に三日月型切除はZ−形成法以外の手術法では不可能です。基礎的な数学(幾何学)的な理論に基づきます。科学的に自明で、中学生でも理解出来るはずの理屈です!?。
また平行型の二重を造る為に目頭切開を奨める美容整形屋が横行していますが、それとこれはイコールではありません。平行型二重は蒙古襞の上に重瞼線が出来る形を言いますが、二重を高く設定すれば自ずと平行型になります。蒙古襞の被さりと拘縮の程度が強くて、かなり上に設定し
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眼瞼形成術は下垂手術と目頭形成術のセットが定番か?。見事に自然で綺麗な結果です。
画像を見るとキツい目付きです。一重瞼(奥二重以下)で、蒙古襞が被さり突っ張って目頭の高さより目尻の高さが、測っていませんが見て判る通りにかなり上にあるのは、吊り目と称されます。前にも書きましたが、東アジア人は平均的に吊り目です。蒙古襞が無い人は在せんからです。でも蒙古襞の被さりの幅と拘縮(突っ張り)の程度には個体差があります。一重瞼の人では二重瞼の人と比べて内眼角間距離(目の間)で平均的に3㎜の差があります。統計的に調べました。さらにその中でも蒙古襞の狗縮度が強い人が居ます。
最近目頭切開と言わずに目頭形成術と称しています。目頭切開と称していた時代からブログに多くの症例を提示して来ました。このブログを始めた5年前から見ていって目頭切開のカテゴリーで選ぶと約200例載せて来ました。ざっと
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