私の9〜10年次。平成8年、1996年までの話しは、残りのカナクリとのハードな折衝まで紹介します。尚ここもS前教授が引き攣れていきます。
その後は11年次、平成9年に茅ヶ崎徳洲会総合病院形成外科・美容外科部長を務め、翌年平成12年に、遂に銀座美容外科に常勤として一年だけ務める事になります。
カナクリの院長は、北里大学卒業で小児科に入局したのですが、数年で辞めて川崎の堀之内に開業しました。知る人ぞ知る、ソープ街ですね。もちろん性器科と男物が対象です。場所柄かなり儲ったようで、その後同様に自費治療の美容外科に進出しようと考え、十仁のベテランの副院長を引き抜いて指導を受けた後、渋谷に開設しました。直ちに広告戦略と、全国展開に乗り出し、その頃は支店数一位を誇り、売り上げも絶好調でした。
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眼の開きが強いのがお好き?、二重が広いのがお好き?。
これまで何回か画像を紹介してきた症例です。調整の追加を繰り返してきました。しかし、目的は一貫しています。ひたすら瞼の開きを強化する事です。それが好きなんです。そういうのが似合うキャラクターなんです。今回そのキャラという点での評価を考察します。
今回は切らない眼瞼下垂手術=NILT法=黒目整形を両側に1本加えました。それこそ、黒目の上のやや内側に入れました。
上記の画像が術前と術直後ですが、差は微々たるものですが、僅かに強化されています。分りにくいでしょうから、近接画像を提示します。
上が術前の左右眼瞼像
上が術直後の左右眼瞼像
比べてみれば判りますよね。目の開きはライトのの反射点の違いで判ります。術前は右目の角膜の上に1点だったのが術直後
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美容医療の神髄49-歴史的経緯第49話- ”口頭伝承”:父は美容整形屋、私は形成外科・美容外科医。自分史話へ”その25”
前回はコムロでのバイトの話で終始してしまいました。9~10年目の北里研究所病院に出向している間には他にも話題が尽きません。今回はその続きから。
9、10年目は北里研究所病院に出向していました。コムロでのバイトの他にも多くのクリニックの門を叩きましたが、長続きしたところはありませんでした。面白く無かったからでもありますが、ギャラ面でも満足でなかったからです。コムロは他と比べてペイが2/3程度でも診療が面白かったし、多くのいい医者に出会えた。でもこの年東京に住居を定めたのでローンが掛かり、収入が不足するから、もう一つのバイトにも行く事にしたのです。
それは実は北里研究所病院の方針です。本来医師は、病院に勤めたら専従するべきでしょう。前年まで奉職した徳洲会では、プロパーの医師=研修医と
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眼頭切開=蒙古襞による拘縮解除術=Z-形成法は黒目整形の一部で、切開法による眼瞼下垂手術も黒目整形の一種です。殺到していますから経過提示が混乱しています。
当院の売り!、黒目整形が大流行となっています。本来、切らない眼瞼下垂手術を皆様に浸透させるために命名したのです。切らない眼瞼下垂手術NILT法は、適応を間違わなければこんなにいいものはありません。しかし、適応が限られる。戻りもあり得る。もう一つ黒目そのものを大きくするのではないのに、考え違いしている患者さんがいらっしゃるので説明が大変なのです。
こうなれば、定着する切開法も黒目整形の一種だと主張し、さらに眼頭切開=蒙古襞の拘縮解除術=Z-形成法も黒目整形の一種だとしてしまおうと考え、今回提示症例とさせていただきました。
症例は31歳、女性。チェーン店系でこれまでに3回埋没法を受けたが戻ってしまう。保険で切開をすすめられたがチェーン店系では危ないので、形成外科を標榜している
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眼頭切開=蒙古襞による拘縮解除術=Z-形成法は黒目整形の一部で、切開法による眼瞼下垂手術も黒目整形の一種です。殺到していまして、混乱しています。
当院の売り!、黒目整形が大流行となっています。本来、切らない眼瞼下垂手術を皆様に浸透させるために命名したのです。切らない眼瞼下垂手術NILT法は、適応を間違わなければこんなにいいものはありません。しかし、適応が限られる。戻りもあり得る。もう一つ黒目そのものを大きくするのではないのに、考え違いしている患者さんがいらっしゃるので説明が大変なのです。
こうなれば、定着する切開法も黒目整形の一種だと主張し、さらに眼頭切開=蒙古襞の拘縮解除術=Z-形成法も黒目整形の一種だとしてしまおうと考え、今回提示症例とさせていただきました。
症例は、24歳、女性。先天的には一重まぶただった。昨年他院で埋没法を受けて奥二重っぽくはなっている。でも御覧のように皮膚が余剰で眼窩脂肪の膨隆も残る。LF
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