最近目頭切開=蒙古襞の突っ張り除去の症例で、画像提示の許可を頂ける患者さんが続いています。まずは術前画像から。
術前の内眼角間距離は37㎜で蒙古襞が縦に突っ張っています。眼瞼下垂の症状はないのですが、二重を拡げたい希望で来院されました。であれば、開瞼を強化しないとならないでしょう。案の定二重を1.5㎜上(瞼縁から8㎜)でシミュレーションすると、眠そうな感じ=つまり眼瞼下垂状態に見えるのです。そうです。二重を拡げると、相対的に開瞼が小さく見えるのです。患者さんも薄々知っていて、棒を当てた瞬間にパッと判ったようで、これだ!って言う表情をしました。さらに、目頭切開の適応もよく理解されていて、数字的にはすぐ理解され、指で引き上げるシミュレーションでもやはりこれだ!って言う感じでした。よ
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鼻の手術なら、私達に任せてよ!4週間でイケてる。
今回の症例は27歳、女性。18歳時にS美容外科でI型プロテーシスによる隆鼻術を受けている。
自覚的に次第に短縮してきた。太い思うとの訴えで来院されました。
他覚的には棒状でその割に鼻根が低く、またプロテーシスが短い。鼻稜が太い。鼻尖が上向いて、その下が平らで、鼻尖が角張っていて、横四角形。触診すると骨膜上に入っている。
そこでプロテーシスを作り替えて、軟骨2枚でダイアモンド型の鼻尖を形造りました。
4週間で撮影させてもらいました。
側面像が自然でしょう。
下から見ての創跡の発赤は目立たなくなってます。
今回の症例の画像に置いては何故か、画像が巧くトリミング出来なかったので、提示可能の画像では、経過を詳細にお見せ出来なかったのが残念です。
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ちょっと治せばいい感じーでも悦ばれます。
この違い解りますか?。かなり微妙な差ですが、症例患者さんの希望に叶ったのです。
症例はこれまで数回の重瞼術と眼瞼下垂手術を繰り返してきました。今回は左側の重瞼ラインを整えたい希望です。
下図が両側眼瞼の画像。左図が術前、右図が術後1週間。
下図が左眼瞼近接像で、左図が術前、右図が術後1週間
近接像で見ると、よく解るでしょう。術前はへの字の重瞼線だったのが、平行のラインになりました。何をしたのかと言いますと、外側2/3の皮膚を切除しただけです。
詳しく説明しましょう。
まず重瞼の幅といっても、閉瞼時の幅と開瞼時の幅が評価基準になります。さらに開瞼時でも視線の位置、つまり開瞼の度合いによって幅は変化します。術前のデザインは、まず棒を当ててみて、
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視界不良で可哀そう!。そこでいつもの眼頭切開=蒙古襞による拘縮解除術と、眼瞼下垂切開手術で人生明るく!
今回の症例は17歳、女性。典型的なPuffy eyeです。パフィーアイとは、化粧パフのようなふっくらした目元という意味で、欧米の白人がアジア人を揶揄するときによく使われる用語です。まあ開瞼不良という機能障害が見られるわけですから、人体能力そのものを低いものとして見られているので残念ですが、だから可哀そうなのです。
もちろん症例の患者さんは、幼少期から開瞼不良というか目が小さいのは自覚(もちろん他覚的にも)していた。挙筋機能は12mmとやや低下。フェニレフリンテストでは、開瞼の強化が見られない。眼裂横径:24mm、内眼角間距離38mmで蒙古襞が目頭を隠し、内側の白目の面積が外側の白目の半分しか見えない。
術前、下図は左右近接像
いつものやつ!。一辺4mmのZ-形成術に
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美容医療の神髄44-歴史的経緯第44話- ”口頭伝承”:父は美容整形屋、私は形成外科・美容外科医。自分史話へ”その21”
7〜8年次の私は、茅ヶ崎徳洲会総合病院で形成外科医長を務めていました。レジデントを終え、スタッフとして、一つの病院の形成外科診療に責任を感じながら業績を伸ばしていく事が、楽しくて仕様がなかったのです。診療業績をかいつまんで前前回説明しました。前回は銀座美容外科の話をしました。
ところが異動を命じられました。その後の日本美容医療協会の動き=日本美容外科学会JSAPSとの関係と理事選の件。その延長として、日本美容外科学会JSASへの加入と父の会長職、日本美容外科医師会の発足への参画等などがあり、この時代は目まぐるしく流れます。この頃については、時系列が記憶上ぐちゃぐちゃですが、先ずは異動の話から続けます。
9年目には北里研修所病院に異動する事になりました。茅ヶ崎徳洲会総合病院形成外科
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