今回の症例は17歳、女性。典型的なPuffy eyeです。パフィーアイとは、化粧パフのようなふっくらした目元という意味で、欧米の白人がアジア人を揶揄するときによく使われる用語です。まあ開瞼不良という機能障害が見られるわけですから、人体能力そのものを低いものとして見られているので残念ですが、だから可哀そうなのです。
もちろん症例の患者さんは、幼少期から開瞼不良というか目が小さいのは自覚(もちろん他覚的にも)していた。挙筋機能は12mmとやや低下。フェニレフリンテストでは、開瞼の強化が見られない。眼裂横径:24mm、内眼角間距離38mmで蒙古襞が目頭を隠し、内側の白目の面積が外側の白目の半分しか見えない。
術前、下図は左右近接像
いつものやつ!。一辺4mmのZ-形成術に
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美容医療の神髄44-歴史的経緯第44話- ”口頭伝承”:父は美容整形屋、私は形成外科・美容外科医。自分史話へ”その21”
7〜8年次の私は、茅ヶ崎徳洲会総合病院で形成外科医長を務めていました。レジデントを終え、スタッフとして、一つの病院の形成外科診療に責任を感じながら業績を伸ばしていく事が、楽しくて仕様がなかったのです。診療業績をかいつまんで前前回説明しました。前回は銀座美容外科の話をしました。
ところが異動を命じられました。その後の日本美容医療協会の動き=日本美容外科学会JSAPSとの関係と理事選の件。その延長として、日本美容外科学会JSASへの加入と父の会長職、日本美容外科医師会の発足への参画等などがあり、この時代は目まぐるしく流れます。この頃については、時系列が記憶上ぐちゃぐちゃですが、先ずは異動の話から続けます。
9年目には北里研修所病院に異動する事になりました。茅ヶ崎徳洲会総合病院形成外科
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美容医療の神髄43-歴史的経緯第43話- ”口頭伝承”:父は美容整形屋、私は形成外科医。自分史話へ”その20”
7〜8年次の私は、茅ヶ崎徳洲会総合病院で形成外科医長を務めていました。レジデントを終え、スタッフとして、一つの病院の診療に責任を感じながら業績を伸ばしていく事が、楽しくて仕様がなかったのです。診療業績をかいつまんで前回説明しました。
同時に週に一日の研究日と土曜の午後を大学に研究に行くのではなく、暗黙の了解事項として、美容外科診療の勉強に、銀座美容外科にバイトに行く事が出来る自由を得ました。それまではおおっぴらに美容外科のバイトに行くのでなく、父に会いに行くという建前でしたが、バイト扱いが認められました。
同時に日本美容医療協会の動き=日本美容外科学会JSAPSとの関係と理事選の件。翌年には異動とJSAS側の美容外科院でのバイトざんまいの件。その延長として、日本美容外科学会JSA
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鼻翼縮小は計測が生命−患者さんは戻りを楽しんでますが、定着に向かっています−
切らない鼻翼縮小術の経過を、とにかく数字でお示ししています。形態の評価は患者さんの主観に任せます。まずは画像と数字を!
術前:鼻翼最大幅39mm術前下面像術前計測術直後:34mm術直後下面像術直後計測術後1週間:37mm術後2週間:37.5mm
このような数字的変遷をたどっております。数字的なカーブから推測するには、そろそろ戻りが無くなりそうです。では患者さんはどのような感想を訴えるのでしょうか?。これがまたころころ変わります。
術前に計測して39mmなので、私がまずびっくりしてあげました。内眼角間距離が35mmなので、アンバランスであることも説明しました。同数を求めるなら術直後は30mm以下にしておく必要がありますが、シミュレーションするといくらなんでも見られたものではな
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美容医療の神髄42-歴史的経緯第42話- ”口頭伝承”:父は美容整形屋、私は形成外科医。自分史話へ”その19”
茅ヶ崎徳洲会総合病院での形成外科診療を紹介する事で皆さんに形成外科医療の真髄をお示ししようと思いました。形成外科とは何かを、一般人が知らないのが残念です。これは美容整形屋どもの妨害工作ではないか?、それとも、形成外科領域の医師の啓蒙不足が資金不足から来るものか判りませんが、一番判っていないのが他科の医師達と、マスコミです。未だに美容整形とほざき、美容外科と形成外科の区別もつかない奴らに教育の意味も込めて紹介します。
底で症例のカテゴリー分けをしてみようと思ったのですが、長くなりそうなので、今回要述します。例によって、日本形成外科学会の当時の認定医のカテゴリーに沿います。
1、新鮮外傷、新鮮熱傷;結構ありましたが、全身管理を要する様な重篤な症例は年に数例でした。ただし重症患者は救急
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