今回の症例は誰が見ても眼瞼下垂症を指摘出来る症例ですから、若年時からの手術適応です。本来この程度の形態なら、幼少時にも適応です。機能的障害を伴うからです。
眼瞼の開瞼が低下しているだけでなく、黒目の内側が隠れる程に横径が小さい状態は、眼瞼狭小症;Blephrophimosis と診断されます。この言葉は合成語で、前半;Blepharoは眼瞼のことで、後半;Phimosisとは調べれば判ります。皮被りという意味で酷い言い草ですが、これは洋語の医学用語です。本症例はギリギリ黒目の内側が出ているのですが、機能的に視界不良です。
症例は18歳、女性。先天性前後葉性眼瞼下垂症。眼裂横径22㎜、内眼角間距離36㎜、角膜中心間距離58㎜と横径が正常下限値。眼球そのものは離れていない正常
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黒目整形は内側が重要です。追加手術を希望されました。修正手術は面白いです。
これまで切らない眼瞼下垂手術=黒目整形=NILT法で瞼縁の形=カーブを調整して来た症例です。まず今回の画像。
今回右内側に追加しました。
きれいなアーモンド型にできました。
前回左内側に追加したのです。やはり右内側は落ちています。
左はアーモンド型なのに右の内側が二重がだぶついています。
初回の手術後です。
右も一回は挙がったのですが今回よりは不足です。
黒目整形は切開法も非切開法も含みます。どちらも、眼瞼挙筋の強化を目的としますが、挙筋の強化法には二種類あります。先天性眼瞼下垂症に対しては皮膚側から切開して挙筋腱膜の直接の短縮を要します。後天性腱膜性眼瞼下垂症に対しては眼瞼結膜側から結膜とミューラー筋および腱膜を縛る方法で腱
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美容医療の神髄-歴史秘話第79話-”口頭伝承”:美容整形屋と美容形成外科医”その55”「相模原市から隣の大和市へ編9:美容外科・形成外科学」
大和徳洲会病院で研修医委員会に於いて、病院運営の特に人事で貢献?していた頃に、明確には書けないのですが、院長の交代というやはり人事問題に巻き込まれました。そして副院長を打診されました。迷いましたが私の人生にとって、平成13年は今から16年前でターニングポイントでした。簡略には記せない話しですが、この後の私の行く末と対比しながら簡単に書きます。
事の発端は前々回にちょっと触れました。院長室に管理栄養士が入り浸っているのが悪い噂を呼びました。そりゃそうです。40歳代でしたが割りとグラマーな方で、物腰ははきはきしているかと思えば、優しい言動もする。どう見ても、院長は落ちている感じでした。その頃、心臓外科の若い部長が、よく手術に大学から先輩を呼んでいました。私も知り合いの形成外科・美容外科医の
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美容医療の神髄-歴史秘話第80話-”番外編”:美容整形屋と美容形成外科医の違いは?
突然歴史から離れて、勉強の成果を披露したくなりました。それと言うのも、先日滅多にない経験をする機会を得たのです。新鮮な御遺体の解剖をさせてもらう事が出来ました。わざわざハワイまで2泊4日の強行軍で50数名の医師が勉強に行って来たのです。
上の画像は、終了後の集合写真です。古くからの(歴史上ブログにも登場したことのある医師)友人や後輩の医師や学会でも売れっ子の医師。前列中央に今回手術シミュレーションを実演してくれたリッツの広比先生、挟んで私と池田先生がおります。それに加えて今回は情熱系の若い医師が軍団で参加しました。
一般人は解剖というと、怖いと感じるでしょう。精巧な模型はあるし、画像なら精密な図譜も3Dの画面もあるのに、何故今時解剖実習が必要なのかと思
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若返り手術の第一段階は黒目整形から。やはり黒目整形は機能的手術です。形態的には皮膚の余剰を除去しないと・・
まずは画像を提示します。
上の画像は、上左が当初、上右は切らない黒目整形手術後で眉下切開前、下左が眉下切開直後、下右が眉下切開術後1週間です。
約1か月前に黒目整形から始めた患者さんの第二弾手術を施行しました。黒目整形はその名のとおりに、黒目の露出を増やす手術です。視界が良くなり、眼を開きやすくするという意味で機能的手術です。上の2枚画像はその術前術後ですが、上の左右の画像は同じ正面視でも眼球の露出サイズに明らかな差が見られます。
しかし、皮膚の余剰は二重を広げて持ち上げただけなので、余分な皮膚が上に行っただけですから、上が膨らんでいます。それにやはり、機能的にも邪魔ですから、眼を開く際に前頭筋が収縮する反射運動はそのまま残りました。この状態に対しては当然、皮膚の余
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