これまで、まぶたの機能と美容医療とのテーマで、いくつかの留意すべきポイントを述べてきました。目が小さいと感じる人に何をすればいいのか?、日本人では目が小さい人が多くいます。これは、遺伝子の為なのは、これまで何度か説明してきました。そしてこの形態は機能異常であることもこれまで説明してきました。だからこそ、東アジアでは、形態と機能の改善として、つまり美容形成外科の治療として、まぶたの治療=ほとんどは重瞼術ですが、同時に眼瞼下垂治療を要する事が多いのです。数の上でもっとも多く(私達の施設では半数以上を占めます。)質の上でもバランスを取った適正な医療が求められると思うのです。
これまでの2症例は、①切らない眼瞼下垂手術で開瞼を強化して、二重は控えめでも瞼縁が露出する手術と、目頭切開で抵抗を除去
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鼻の美くしさⅠ:アップノーズとショートノーズ。部分とバランス。
外鼻は形態だけでなく、量的な差異が美しさに繋がるものです。そして、鼻の中でも上から下まで各部位のバランスと周囲との調和が、顔全体の美しさと大きく関わる部品なのです。
上から眉骨(眼窩骨上内側縁)と眉間の隆起、鼻根(鼻骨上縁)へのYの字の連続性。鼻陵=鼻筋の通ったしかし斜めから見ればカーブを描くライン。鼻尖の上から鼻尖が立ち上がって鼻柱に向かって急激に落ちるカーブ=はっきりした鼻尖。鼻柱はスッと直線的で、鼻唇角ははっきりしている。
こんな美しい鼻の形を持っている人は日本人ではいないかも知れません。日本人をはじめとした、東アジア人つまり非白人の外鼻の特徴として、絶対的に低い。幅がある。さらに周囲の顔面も抑揚のない平板。これが標準的な東アジア人なのです。またぞろ、形態人類学の論議になり
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美容医療の神髄番外編-本邦の戦後の医療の経緯Ⅰ
古来は医療というのは、怪しいもので、神懸かりだったり、気持ちの問題だったり、科学的ではなかったのです。
本来生命や、機能を保全する事は、国家や為政者に取って必要な事です。兵隊を減らさない。労働者に元気に働いてもらう。この為に医療は便利です。その事に気付いた集団のリーダー=王でも、君でも、社長でもありです。)は、医療を利用しようと考えるのは当然です。
文明開化以前にも、日本では江戸時代には、医学を目指した者はいました。町医者と御典医です。経験則から医療をしていました。ちなみに私の四代前は福島で地域医療をしていたそうです。欧米では、ルネッサンス期に、東アジアでは文明の萌芽と共に、日本では明治維新後に近代医学が科学的に発展しました。
日本では、後付けで西洋医学をまねたので、制度が
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まぶたの機能と美容医療ⅩⅢ 眼頭切開と切開法眼瞼下垂症手術5 -症例供覧ー これは難しい症例ですが、経過は良好です。
2週間前に切開法による眼瞼下垂手術と抵抗緑解除の為に目頭切開した症例の経過写真が得られましたので、ご報告します。
まだわずかに無い出血が残っていますが、メイクで隠していました。まぶたはよく開き、患者は「世界が変わった。」と言います。写真では意識的ですが、おでこの力が入らなくなり、眉毛が下がっています。よく見ると、瞼縁の引き締めている点が上がり過ぎていますが、これは治ります。
切開法で2週間では、経過的に変化します。腫れ=腫脹が軽減して、内出血は来週には消えます。強すぎると感じる挙筋力は神経がが調整して、丁度良くなります。そもそも、日本人では開瞼幅はバリエ—ションが広く、正常下限は8㎜ですが、私は10㎜です。力の入れ具合はシチュエーションで変わり、体調によっても変わります。
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美容医療の神髄Ⅵ-歴史的経緯第五話- ”口頭伝承話”その5
美容整形は戦後高度成長期に乗って発展しました。形成外科は戦後に戦傷外科から外傷外科、そして美容医療の一部を担って存在してきました。どちらも形態改善医療であるから、オーバーラップしていて、少なくとも、機能改善をも目的とする疾病対象の医療である形成外科診療において得られる知識や経験は、美容外科医療を行う際に必要不可欠であることはこれまでにも、このブログで再々述べてきました。
昭和50年代に形成外科と美容外科が標榜されたとき私は、これでまともな医療として見てもらえると期待していました。しかし、広告宣伝合戦と、多店舗展開という、ビジネスの世界に向かってしまったのは、前回詳述した通りです。私が医学部であった昭和50年代に情勢は急展開していったのです。私は父とよく、この状況について話し込んでいまし
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