2013 . 7 . 19

美容外科の神髄Ⅳ-歴史的経緯第二話-

戦後日本の美容医療の先行者は、もちろん十仁病院でした。十仁医院は戦前からあり。先代(現在の院長:梅沢文彦の父)の梅沢文雄医師は。上野で開業していました。美容医療というより、男性器治療から入ったようです。戦後新橋で再建した十仁病院は、美容整形を前面に打ち出しました。戦後米軍とともに、医師団も日本に視察、医療指導のため、来日します。ある有名な形成外科医は、日本でのPlastic Surgery は十仁が最高峰だと論文に記しています。 当時はまだGHQの占領下で、都心にも米兵がゴロゴロいた訳で、経済的に欠乏していた日本人女性の中には、米兵にぶら下がって食べさせてもらう者たちがいました。そこで、米兵に相手にしてもらうためには、「バターくさい容姿=外人風の顔。」にする方が優位なのでした。GHQ本
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2013 . 7 . 11

ピアスで耳たぶが割れた人を治す =後天性耳垂裂に対する手術法=

またまた話が飛んでしまいますが、なぜか私の発明した?手術を行う患者さんが続いたので、提示してみたいと思います。2000年(平成12年)に日本美容外科学会(JSAPS)で発表し、論文にも書いた方法です。 「後天性耳垂裂に対する手術法」副題:懸垂型ピアスにより慢性的に生じた耳垂裂をピアス孔を同時に作成しながら修復する方法。よくある誰それ式何々法とは違い、本当にオリジナルな手術法です。 欧米では懸垂型ピアス,dangling pierceを着けることが多いのです。耳飾りは有史以来の欧米での文化です。ですから、欧米では、耳垂(耳たぶ)が重さに耐えきれずに、ピアス孔が徐々に伸びてしまい、しまいには割れてしまう=後天性耳垂裂が多いのです。したがって、修復手術法も多く報告されています。
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2013 . 7 . 5

美容医療の神髄Ⅲ-歴史的経緯-

話しがあっちこっちに跳んでしまって混乱させてしまっているかもしれませんが、お許しください。ブログですから、徒然なるままに書きます。 私事、生涯一美容外科医を名乗る森川一彦は、美容外科医である父の下で生を得て54年、医師としては26年に過ぎません。こんな私が歴史を語るのは僭越かもしれませんが、私達親子の経緯も含めて、述べていきます。 日本での形成外科、美容整形の歴史は戦後からといえます。欧米では20世紀の初めからです。その前に現代では、形成外科、美容外科(美容整形)、最近では美容皮膚科、美容内科で対応する美容医療という概念は、いつからあるのでしょう。 三国志には、一重瞼を二重瞼にした女性の記述があります。これまで述べた東アジア人の特徴ですね。これは立派な美容医療です。同時期に
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2013 . 7 . 3

まぶたの機能と美容Ⅱ

前回、まぶたの美容についての前提を述べました。二重瞼が一重瞼より機能的に優位であるため美容的にも優位であるという、文化人類学的学説でした。 ところで、考え直してみたら、何故機能的に優位でない形態的変異が存在するのでしょう。ここでいう機能とは生命維持能力にも通じるものです。もし、狩猟を糧とする民族なら、目が小さいと獲物を探す能力が落ちますし、戦闘時の索敵能力も落ちますから、生存能力が低いわけで、その遺伝子は途絶えるはずです。但し、農耕文化を発達させたら、農作業は下を向いていればいいので、目の開きは関係ないかもしれません。前回も書きましたが、一重瞼の遺伝子は、約3万年前に東アジアで変異が始まったと考えられます。その頃は氷河期の最後で、同地付近は特に寒かったと判っています。寒冷地でしかも砂漠
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2013 . 6 . 28

まぶたの機能と美容Ⅰ-二重瞼と一重瞼-

美容医療においては、なんといっても"まぶた"が嚆矢となりましょう。 前回、個体差については簡単に触れました。顔には個体差があり、求める像にも幅があり、そのため治療する側も多くの引き出しを必要とする。これが、美容医療の醍醐味というものです。 計測で、ある程度集約した理想像は提示できます。しかし、数字が個体差を確実に反映するとは限らず、全身や顔全体とのバランスというものがあります。さらに、内面性(精神性、人格、社会性等)の反映にも気を配らなくてはなりません。顔を見る前提として、生体も見ます。人という生体を診るためには、尊厳のある社会人としての人間も診ます。一人の人の顔を触る美容医療は、ここまで考えるべきだとは思いますが、美容外科医師がみんな、こんな面倒なことをしている訳ではありません
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