2013 . 7 . 21

美容医療の神髄Ⅴ-歴史的経緯第三話- ”口頭伝承話”その1

昭和30年代に入り、その頃巷では、高度経済成長期に乗じて、贅沢医療としての美容整形開業医は、雨後の竹の子のように、増加していきます。昭和36年に父が銀座で開業した時点では、都内に三十院は下らなかったそうです。すぐに、山手線の各駅には美容外科が存在していたそうです。また、大阪では戦前からの外科病院である、白壁病院が美容整形を始めました。

美容整形を開業する医師は他科からの転向しかありませんでした。もちろん多くは、外科系からです。一例として、父は胸部外科医として、北里病院に勤めていました。実はそこに二本の伏線があります。当時は結核患者が多く、胸部外科では、胸郭形成術という肺をつぶす手術法が定番でした。すると、胸がぺちゃんこにへこみます。そこで、当時開発されたばかりの、シリコンジェル等を注入して、凹みを治す治療を試みたそうです。何しろ、新幹線の車軸の潤滑剤として開発されたシリコンオイルですから、当時としては最先端のハイテクです。しかしこれは、後年になって警察病院の大森医師の言うところの「巷間、不適切な美容整形」の一つです。当時の多くの患者には福音だったのですが、長期的には繊維化により悲惨な状態になり得ます…。それはさておき、父は病院勤めしながら、美容整形に手を染め始めたのです。もう一つ、北里研究所病院の皮膚科部長が、銀座で内緒で開業していました。(現在でも同病院ではサテライトクリニックを持つ伝統があります。)父が言うには、「インチキ毛生え薬」を売っていたそうです。これも美容医療の始まりではあります。ところが、そのフクズミ部長が、北里病院の院長となることになり、複数の医療機関の院長は医師法に抵触するので、銀座院をを父に譲ったのです。こうして父は、昭和36年「銀座東一診療所」を開業したのです。美容整形の知識どころか、目鼻顔の治療経験はなかったそうです。十仁病院などに知り合いを行かせて、手術を受けさせて、学んだそうです。ほかの美容整形医も同様だったそうです。

さらに安易な輩がいて、顔や性器にもシリコンやパラフィン注入専門の美容整形屋が多かったそうです。これなら材料さえあれば、知識も何もいらないわけです。「人形の家」の歌手が今、凄い顔なのは、この人達の為です。もっとも、銀座整形の患者さんでもあり、眼瞼は傑作の一つだと父は言ってました。 他の美容整形屋医師もご多分に漏れず、メチャクチャ整形に徹していた様ですが、きりがないので、2例。おしうみ先生は産婦人科医出身で、胸の手術から美容整形分野に参入しました。顔面の手術でも腕を擧げてかなり流行っていたそうです。昭和40年に事件が起きます。乳房にシリコンを注入した結果、硬結、皮膚壊死を来たした。その上さらに追加してシリコンが血管に入り、血栓で亡くなったという事です。患者は水商売関係で、配偶者は(夫ではない)その筋、今でいう指定集団の一員でした。おしうみ先生は脅かされ、なだめすかされ、少しずつ金銭を搾り取られ、段々エスカレートされ,仕舞には耐えられなくなり、自死しました。このケースは、美容整形屋の負の面を見事に表出しています。ヤスミクリニックのメチャクチャ度は別に特別ではなかったのですが,酷すぎず,笑えるやり方です。とにかくシリコンを顔に注入しまくります。張りを出す。なんでも言いから顔にシリコンを注入する。なんだか解らないけどいいみたい。芸能人もうわさを聞いてこぞって受けにきました。 芸能人で顔がブツブツ状態の人,誰がとはいえませんが,シリコンが見えました。宍戸錠は似た様な物質のオルガノーゲンですが形態的結果は同様です。ヤスミ先生に近い人,奥さんは怖くて逃げたそうです。事務長女史が後添えになったのですが、顔中シリコンのお化けで有名でした。代表的な女優N.K.は、「見イたアかアー!」と言って、最後は大河ドラマでお化け役を見事に演じていました。メチャクチャ美容整形はやはり金儲け主義から来ているとしか考えられないのですが、それには一因があります。国民皆保険制度が昭和36年に成立したからです。これで、医療はほぼ同一料金になったわけですが、逆に言うと平均的レベルの医療しか受けられなくなったわけです。美容整形のような創意工夫の必要で高度、かつ危急でない医療では、高額!(当時の経済状態からすると)でも、少ないニーズを少ない医療機関が捉えられたのです。さらに、何度も述べましたが、美容医療は結果に対する評価を患者さん本人は周囲に教えないものです。つまり内緒でするので、地域での評判が作れないのです。そのため、宣伝が必要で、その費用も治療費に含まれていたのです。今はそうではなくなってきつつありますが、自費診療に関しては、料金設定は相場はあっても自由ですから・・。

今でもそうですが、芸能人は顔が売り物ですから、昔も上客でした。銀座は特殊で、昔は歌手は売れない頃はドサ回りしていたので、売れる前には銀座のクラブ歌手をしていた人が多かったのです。歌はうまくて、着飾っていても、顔がねえ~。という方は当然美容整形の助けを求める訳です。そうした患者はさすがにクラブで隠し通せないので、クラブホステス間では評判ができます。そうして、銀座整形には、ホステスさんもたくさん来ていました。そして、我が家にはその頃売れていた歌手のレコードがたくさんありました。父は歌謡曲には興味なかったので(音痴傾向でした。)、これらのレコードの歌手は患者さんだったと考えられます。当然女優さんにも評判は広まっていたそうです。

この頃昭和40年代半ばになると、警察病院を始めとした形成外科を学んだ医師達も開業し、美容医療を診療し始めます。ここからが、混沌としてくるので、次回のお楽しみとします。

 

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