ご覧の様に、目の窓の横幅が小さい。眉毛を挙げてしまう。目力が弱い。目元が子供っぽい症例。今回3ヶ月の経過を提示したいと思います。
症例は20歳、女性。生来の一重まぶたで、挙筋筋力(滑動距離)は13㎜と正常下限ですが、開眼時に常時前頭筋は収縮しています(眉毛を挙げています)。もちろん、一重まぶたによる皮膚性眼瞼下垂があるからです。それに、眼裂横径が25㎜、内眼角間距離が36㎜と眼裂狭小傾向です。傾向というのは、数字的には正常範囲だからです。間が36㎜は標準偏差内ですが、顔が小さい(体格も)ので、それとの比率としては、離れて見えます。つまり小顔、開きが弱い、横幅が小さい、その結果眉毛を挙げている。これらの症状が揃っているため、形態的に子供っぽく感じられ、社会機能的に損失を来していると考えら
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美容医療の神髄28-歴史的経緯第28話- ”口頭伝承から、自分史話へ”その5
2年次は東京に務めましたから、有用な経験をしました。父との交流もそうですが、個人的には配偶者を決めました。そして、3年次のローテションを医局長と同学年次の医師3人で検討することになります。
突然ですが、前々回の入局時の言葉を思い出しました。O講師が、「美容外科の患者は精神疾患を持つことが多いんだよ!」要するに美容外科医療を蔑んでいるのでしょう。彼等の言う形成外科に基づいた美容外科。美容外科は形成外科の一部だと言い張ること。彼等が美容外科を美容整形と同じく下に見ているのは、美容整形から美容外科になってから形成外科を選択した私としては心外なことです。あくまでも、美容外科と形成外科は両輪でありながら、併存するべきものです。日本では別の標榜科目ですから。
最近O先生と私の間に患者さんが行
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片側の黒目整形で合わせたい。経過を追いましょうⅠ。
今回の症例は、片側の眼瞼下垂症例です。実は数年前に重瞼術を両側受けていますが、開瞼を合わせていません。眼瞼下垂症に対する治療を受けていないために、左右差が目立って来たということです。開瞼に左右差があれば、見た目の重瞼の形も左右差を呈することになる解り易い症例です。
実際には、片側の手術は合わせるのが難しいのです。術中が出来上がりではないのは当然です。時間経過と共に変化していきます。実は、本症例は1週間前の手術です。経過を見てから提示したかったので、待機しました。
症例は38歳女性。挙筋機能(挙筋収縮距離+最大瞼縁活動距離)は両側12㎜と左右差が無いのに、同じ力で開く=挙筋を収縮すると、力が伝わらない為に瞼縁の挙がり具合に左右差を呈する状態です。腱膜性眼瞼下垂です。後天性で、原因は
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眼瞼形成術の切開法は、美容形成外科専門医で受けましょう!。3か月で、完成としましょうか?。
3ヶ月前に眼瞼下垂手術=切開法=一重瞼または奥二重という先天性皮膚性眼瞼下垂症に対する切開法手術を行った患者さんが経過診察に来院されました。
上左図が術前です。二重まぶたが狭い。前頭筋に力が入っていて眉が挙がっています。上右図が術後1週間です。さすがに腫れています。止めた点にカクカクが見えます。切痕といいます。
上左図が1ヶ月ですが、なんかまだすっきりしない。挙がっているのだけど開瞼が物足りなく、クリクリしていない。上右図が3ヶ月で今回いただいた画像です。なんとか、いい感じにみえます。
これまでにも、本症例については私としても満点を出せませんでした。内側方面の開瞼が外側に比べ足りないのが,見えるのです。
一重瞼にしても,奥二重にしても,二重まぶたでも,
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美容医療の神髄27-歴史的経緯第27話- ”口頭伝承から、自分史話へ”その4
2年次の続きとなります。東京都心に勤めて銀座は近いので、二週に一度くらいは銀座美容外科に寄りました。二ヶ月に1階くらいはゴルフにも付き合いました。だからこの1年間は父と話す機会も多かったと思います。
当時の美容医療の情勢としては、昭和63年ですから美容外科の標榜から10年を経過していたので、裏の存在だった美容整形から列記とした診療科目になって、市民に認知されていった頃です。
このころ、父との会話のキーワードは二つ。チェーン店系の勃興と新幹線整形。相対する方向性の中で情報交換し、方針を模索していました。
影の存在どころか、金儲け主義でやくざ医師とまで言われた美容整形だし、もちろん美容整形外科というのは無いので潜りの広告しかできなかった。昭和53年の美容外科標榜科目認可を契機に
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