前に予告したように、糸の話を再開します。
切る、切らないの手術内容にこだわらずに、より良い結果とより経過の良い手術法を、検討していきたいと思います。切る切らないを組み合わせて、ダウンタイムと結果と持続性のバランスを取りながら、美容医療を受けましょう。
先に念を押して置きますが、糸を始めとした体内埋入物は、身体に対して害を及ぼす物はありません。生物学的な害=ばい菌等はあり得ないし、化学的な害=毒性のある物質などもあり得ません。この点は医学ですから、科学的にカットされています。生体が反応する異物反応=いわゆるアレルギーを呈する物は原則として使用しません。物によってはアレルギーはごく稀に起きますが、私達は使用不可とします。
体内に埋入するだけで、いやがる人がいますが、食べ物だって
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美しい女(ヒト)の楽しみ-ミニリフトの経過-
今回は写真だけ提示します。ミニリフト2月10日手術
2月28日経過
手術後18日でダウンタイムなんかなかったかの様に写真を撮って送って頂けました。
顎のラインの変化にお気付きでしょう。笑顔が自然に出ているのは、手術の影響が無い証拠ですよね。写真の取り方が上手なのでもありますが、画像はウソは付きません。すばらしい経過です。
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美容医療の神髄Ⅷ-歴史的経緯第7話- ”口頭伝承話”その7
Tクリニックは、T先生が開業した美容外科医院ですが、彼が創始したのではありません。その点では私や多くの美容外科医と同じです。そこには、標榜科目である美容外科や形成外科を包含する根源的な美容医療を求めてきた哲学があったと言えます。いや、あったらいいなと思います。
Tクリニックは昭和51年に形成外科、昭和53年に美容外科が国家から標榜を認められる前から存在していました。それまで標榜が認められずに美容整形を標榜?していた輩と同じです。もう一度言います。美容整形という科目は、医療機関の看板に掲げてはいけないのです。法律で決まった科目しか掲げられません。マスコミが使うのは勝手です。判りやすいからで、法律を遵守しなくても罰は受けないからです。放送法には、意見は政治的に左右されない様に定められていて
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美容医療の神髄Ⅶ-歴史的経緯第六話- ”口頭伝承話”その6
長らく中断していました美容医療の歴史。何故中断していたのかというと、美容医療の歴史を、私なりに書き連ねてきたこのブログで、やっと自分史の時代に来た時、自我が先行していしまい、自分の経験を詳述したくなってしまいました。前2回は卒後教育と認定医の説明に費やしてしまいました。反省して再開します。
昭和51年に形成外科が、昭和53年に美容外科が標榜され、美容外科においてはJSAPSとJSASの二つの日本美容外科学会が存在する事になってしまった時から、公的に美容外科が認知されたののにも関わらず、混沌とした戦乱の時代、競争のビジネスの時代になっていったのです。この結果美容医療は荒廃していったといえます。
この頃何が起きたかと思い返してみると、美容外科のビジネス化の萌芽と、医学的向上性の萌芽が
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顔の輪郭を分析します。—次に正面輪郭を—
正面輪郭は、黄金比率に支配されています。
レオナルドダビンチが提唱したあれです。長方形の縦横の比率として最も美しいというか、安定感がある比率。5対8をいいます。よくあるのは煙草の箱、コピー用紙なんかも近似値です。いろんなものが近い比率です。
顔の正面輪郭を長方形で囲んだら、黄金比率になるのが美しいとされています。つまりやや面長、でも長すぎない。その中に収まる顔がバランスがいいというものです。
さて、顔が長い短いは、身体の大きさつまり身長との比率ですよね。顔の上下長には頭も含むので、人種による差が少なく(頭が小さければ知能が低いということになる。)、身長との比率が、顔の相対的上下長として見られますよね。日本人をはじめとしたモンゴロイド系人種では、平均身長が男性で170cm未満
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