2017 . 8 . 11

美容医療の神髄-歴史秘話個人編-美容整形屋と美容形成外科医「番外編3:美容外科医の家族は辛いよ!」

父が家に寄り付かなくなったのは私が中学生の頃。私はその後慶応高校に合格し、遊び呆けます。父が居なくなってタガが外れたのです。でもそうはいっても交流は続きます。母は私を頼りました。だから、今回亡き母の生き様を書き添えたいのです。 では、父と母の婚姻状態や、家族の生活はどうしていたのか?。まず母は私と弟に絶対に意地でも婚姻関係を絶たないと宣言しました。そうなれば、経済面ではどうするか?。法律的に婚姻関係を継続するなら、経済的には同一会計でなければなりません。ただし、口座で動かすのは面倒というかまずいので、私達が取りに行く事になりました。毎月誰かが運び屋となるのです。 父が帰らなくなったのは昭和47年かと思います。当初から、私は父に会いに医院を訪れていました。もちろん子供としての気持ち
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2017 . 8 . 9

目の横径が小さいけれど、開瞼は見事にできました。術後3か月で完成!

今回の症例はPuffy eye の典型例で、しかも眼窩隔離気味。目が離れていると目が開く訳がないという典型的な症例です。まずは術前と術後3か月の画像を並べます。とにかく目がパッチリしましたから、完成とします。可愛いでしょ! 症例は、25歳の女性。先天性一重瞼で数年前に埋没法をして一応ラインは決めている。とにかく目が離れていてだから開きにくい。二重のラインも自然なカーブに出来ない。2年前に切らない眼瞼下垂手術を受けたがラインは気に入らない。今回重瞼線を平行にしたい。下垂は再発したから開きたい。切開して定着したい。目頭の拘縮を解除して重瞼線を丸くしたい。いくつかの点を同時に治すなら、やはりいつものやつが適します。 所見を提示します。内眼角間40mm、眼裂横径24mm、角膜中心
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2017 . 8 . 9

数年来の微調整手術と、他院での左右差と不自然形の修正手術。結果はまだ!

本症例は難しくて面白い。患者さんと美容外科医としての私の信頼関係を築き上げて診療していくことで、満足な結果を得て行こうという経過を提示しています。他院での術後に対する再手術と、当院の良好な結果の経年変化に対して再建するための再手術が組み合わさっています。 症例は34歳、女性。先天的には奥二重だが、LF13mmと先天性眼瞼下垂はなかった模様。数年前埋没法を受けて二重瞼にしている。3年前に当院で切らない眼瞼下垂手術=非切開法黒目整形=NILT法を受けた。当初はよく開き重瞼もくっきりしたが、徐々に落ちてきた。その後他院で10年前に、目頭切開を三日月型切除法で受けた。左右差が生じたのと、開瞼が落ちたのと、目頭の形態と機能に問題が生じていました。 現症は、眼裂横径25㎜、内眼角間36㎜、角
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2017 . 8 . 5

眼瞼下垂手術切開法と目頭切開Z-形成法:やはりこの手術が最良の結果をもたらします。

いきなり術前と術後1週間の画像を載せます。比較するも何も、違う質の目元になりました。 姉妹で手術を受けた患者さん。「妹さんがあまりにも良くできたのでプレッシャーがかかります。」と正直に告げるも、「じゃあ同じ様にきれいにして下さいな!」と楽しそうな患者さん。要するに信頼されているのだと思いました。こういう相手には気合いが入ります。 まだまだいろいろな形態的機能的な変遷は予想されます。珍しく血腫が存在しましたので、術後2週間までは消えないでしょう。こうして経過が遷延する例もあります。気合が入りすぎて開瞼が強化され過ぎた感はありましたが、予定通り揃ってきました。患者さんも「ちゃんと合ってきましたよね。」と余裕の表情です。人間の身体の経過には絶対はありません。 ですから、定
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2017 . 8 . 3

美容医療の神髄-歴史秘話個人編-美容整形屋と美容形成外科医「番外編2:美容外科医の家族も辛いよ!」

母と父の関係を美容整形屋と照らし合わせれば、何と言ってもキーワードは「美容整形屋に女は憑き物!」です。 父は昭和2年産まれで、昭和28年に慶応大学医学部を卒業し、医局は同大学第二外科でした。そこは当時先端領域である胸部外科でした。直ちに北里研究所病院に出向しました。皆さん知っての通り北里柴三郎は、感染症医療に於ける本邦での最高権威者で、病院は研究所に付属し、最新の医療を推進していました。当時もっとも罹患者が多く、しかも慢性疾患のため戦後の国民国家の再興を妨げていたのは結核で、北里研究所病院も結核サナトリウムの様相を呈していました。 父は福島県猪苗代町の産まれで、祖父は医師でしたが、祖母は未婚のまま父を連れて東京に出て来てしまいました。祖母は教師でしたが、音楽教師を目指して芸大の前
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