2016 . 7 . 28

美容医療の神髄53-歴史秘話第53話- ”口頭伝承”:美容整形屋と美容形成外科医の二人の行動が歴史を語る。”その29”

その頃の斯界の動きを羅列すると:日本美容医療協会、日本美容外科医師会、日本美容外科学会JSAS、日本美容外科学会JSAPS等で私達は多方面に渉って活動しはじめます。コウモリというか、あくまでも二股です。四股ではありません。その点から説明していきます。 時代は平成9年=西暦1997年で私は11年次です。実は年代をよく覚えていません。 私が日本美容外科学会JSPSに加入したのは形成外科入局時、つまり昭和62年=1987年です。通常北里大学形成外科入局時には、日本形成外科学会には入会しますが、日本美容外科学会JSAPSには入りませんが、私は出自からして特殊なのですぐに入れました。教授陣の推薦が必要なのですが、特別に配慮されてサインをもらいました。父は昭和53年の立ち上げ時から入会して発
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2016 . 7 . 28

鼻翼縮小と鼻尖縮小は違います。

もう何ヶ月も前からの症例ですが、切らない鼻翼縮小術の症例がやっと定着したので報告致します。同時に鼻翼の手術法と鼻尖とのバランスの件についての説明を加えます。 症例は術前で36㎜の鼻翼最大幅が34.5㎜になりました。かれこれ2回の手術で初回手術から半年経っていて、少なくとも2ヶ月前と変わらないので、定着したものと見做します。 下に画像を並べます。下左の写真が術前の正面像、下右の写真が現在の画像。更に2段下の画像は下方からの画像です。 画像の撮り方やサイズが統一していないため比較がし難い点をお詫びします。でも、サイズは本当です。数字が示すだけでなく、患者さんは満足しています。 本症例は他院で切除術を受けた後に来院されました。しつこく説明しますが、鼻翼のサイズを減少
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2016 . 7 . 22

美容医療の神髄52-歴史秘話第52話- ”口頭伝承”:父は美容整形屋、私は美容形成外科医、二人の行動が歴史を語る。”その28”

平成9年、1997年は11年次ですが、茅ヶ崎徳洲会総合病院形成外科・美容外科部長として意気揚々と赴任しました。もっとも東京勤務の際に東京都大田区に居を構えたので急に引っ越す訳にもいかず、病院の持つ寮もあるのですが家族と離れるのは辛いのでほとんど使わず、片道1時間半の道のりを自家用車で通う事にしました。徳洲会に出戻りですが、私が離れていた2年間の部長があまりにも悪評を得ていたので、私は歓迎されました。院長は前回と変わらず、彼には気に入ってもらっていた。他の医師団も2年前とほとんど変わらないから気心が知れている。 この年の茅ヶ崎徳洲会総合病院では医療講演に盛んに参加した事がまず上げられます。月1回以上は、市中の市民センター等で専門分野の講演をします。他科との持ち回りです。もちろん私は形成外
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2016 . 7 . 22

眼の開きが強いのがお好き?、二重が広いのがお好き?、1週間で見てアレッ?・・

最近切開法の掲載症例が頻繁でしたが、今回の症例はこれまでにも切開術の症例提示をさせて頂き、その後微調整を繰り返して来た患者さんです。 皆さんにはこんなに頻回に繰り返してもいいのかと、疑問を呈されるかも知れません。問題ありません。 過日他院で埋没法が行われた後に物足りなくて、当院で切開法を敢行しました。開瞼の向上という結果は出ましたが、左右の微妙な開瞼の差と瞼縁のカーブという形態と機能の問題。前頭筋収縮の非対称、影響して重瞼の非対称が無いとは言いません。 その意味で見える問題を、形態と機能の両面からの修正点を患者さんから指摘されて否定はできません。素直に認めて、でもサービスを込めて修正してきました。今回も見える修正点を埋没法で左右1本ずつ、黒目整形を加えてみました。
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2016 . 7 . 20

眼瞼下垂症切開手術と眼頭切開(拘縮解除術)で黒目整形の一種の1.5か月後。=キレイね!=

当院の売り!、黒目整形が大流行となっています。しかし適応は限られます。戻りもあり得ます。もう一つ黒目そのものを大きくするのではないのに、考え違いしている患者さんがいらっしゃるので説明が大変なのです。 こうなれば、定着する切開法も黒目整形の一種だと主張し、さらに眼頭切開=蒙古襞の拘縮解除術=Z-形成法も黒目整形の一種だとしてしまおうと考え、提示症例とさせていただいています。しかし、症例提示が続いたら、来院症例もひっきりなしです。一時よりは落ち着きましたが、症例の経過を経時的に追っていくのが私の務めですから、まだまだ終わりません。通例3ヶ月までは提示していきます。 症例は31歳、女性。チェーン店系でこれまでに3回埋没法を受けたが戻ってしまう。保険で切開をすすめられたがチェーン店系では
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